塾長トーク
国民読書年 2010年4月 @文京区 都立中高一貫校
蘖(ひこばえ) そしてまた一歩から
切り株や根元から出てきた新芽のことを蘖といいます。「ひこ」とは曾孫(ひまご)のことです。
太い幹に対して、新しく生えたかわいい新芽を曾孫に見立てて、蘖と呼ぶようになりました。
切り株や根元の幹から、かわいい新芽が出ているのを見つけると、思わず微笑んでしまいます。
そして、その生命力に、感動すらおぼえます。
何年も何十年も、年輪を重ねて、枝をのばし、葉を茂らせてきた営みが、切り倒されれば、すべて無になってしまいます。それでも、何も言わずに新しい芽を出していく……当然のように、新しい一歩を踏み出しているのです。
どんなに言葉を尽くしても、蘖の無言の教えには、かないません。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
国民読書年フォーラム
今年は、衆参両院で採択した決議に基づいてつくられた「国民読書年」となっています。2000年の「子ども読書年」からちょうど10年です。この間に「子どもの読書活動推進法」「文字・活字文化振興法」なども制定されていますが、大人の五52%は、一か月間に一冊も本を読んでいないのが現状です。
文字・活字という知的財産を受け継ぎ、心豊かな社会を実現するため、政官民が協力し国を挙げて読書活動を盛り上げようと、活字文化議員連盟が呼びかけて採択されたのです。各地でいろいろなイベントも開かれ、2月6日には、千葉県市川市で読売新聞社主管によるフォーラムが開かれました。(読売新聞2月21日朝刊より)
斎藤孝先生(明治大学教授)の基調講演、テーマは「読書力とコミュニケーション力」。続いて作家の奥泉光さん、セブン&アイ出版社長の水越さくえさん、文字・活字文化推進機構理事長の肥田美代子さんによるパネル討論、テーマは「言葉の力と心をはぐくむ」について語り合っています。
最後に、以下のようなフォーラム宣言文を採択しています。
「わが国は千数百年の書物文化の歴史を持ち、すばらしい文学などを生み出してきました。本や新聞などの活字文化は考える力や想像力はもちろん、言葉の力や人を慈しむ心もはぐくんでくれます。こうした貴重な財産を受け継ぎ、発展させて、心豊かな活力あふれる社会を築くことは私たちの願いです。今年は『国民読書年』です。これを機に、私たち国民一人ひとりが、家庭で、学校で、職場で、地域で、文字・活字文化に親しむ行動を起こすことを誓います」と。
斎藤孝先生の講演要旨は、以下の通りです。
「どうして本が大事なのか、読書が大切なのか。家に本があるということが大切なことなんです。本があるということは、大変な偉人、先人が部屋にいて刺激を与えてくれるということです。ニーチェやフロイト、福沢諭吉などが本棚に並んで背表紙からにらみをきかせてくれているわけです。
人間の文明は元来、言葉、中でも書き言葉によって成り立っています。活版印刷術が生まれ、知が共有されるようになってから急激に文明が発達したのです。書き言葉を共有していない日本人が半数近くいるとなると、社会は発展をあきらめただけでなく、相互のコミュニケーションができにくくなってしまいます。『むかつく』という言葉の流行を研究したとき、生徒たちが授業中に『むかつく』ばかり言って、授業にならないという相談を学校の先生から受けたことがあり、ここまで日本人の知性がなくなったのかと驚きました。
実は、他者に対する態度というのは、読書量と関係があります。読書というのは、人の話をたくさん聞くという行為だから、他者の話を落ち着いて聞けるようになります。『むかつく』『うざい』と、コミュニケーションを断ち切るような態度には出なくなるわけです。まずは話を聞き、ちゃんと理解した上で、自分のコメントをする、そういう対話ができるようになります。本を読まない人でも会話はできていますが、その会話と対話はレベルが違います。大学のゼミで学生と話をすれば、どの程度読書をしているかがわかります。書き言葉にしか出てこない語彙を話し言葉で使っているかどうかでわかるわけです。
皆さんは漢字の力があるから、私の話が聞き取れます。意味の含有率が高い話をしようとしたら、漢字の熟語を使わざるを得ません。従って、話す、聞くの根底には漢字変換力、文字に直す力が無意識に働き、それらは読書量に支えられているわけです。
内容の濃い対話をするためには、要約力、質問力、コメント力が大切です。要約力は、相手の言っていることをぎゅっとまとめる力。本を読んでいると、まとめる力は付いてきます。質問力は、相手に『ああ、いいことを聞いてくれた』と思わせる力です。私の場合、筆者らに聞きたいというところに印を付けながら読んでいます。相手の言葉にコメントしてあげると、コミュニケーションがうまくいきます。自分の考えを研ぎ澄まして、ひとつの言葉に凝縮する作業には集中力がいりますが、読書によって得られる語彙や言い回しを引用しながら話すと、キレのいいコメントができるようになります。
読書とは人間における知性の土台みたいなものです。ちゃんと歩かないと、健康が損なわれるように、本を読んでいないと粗雑な人間になってしまいがちです。落ち着いて話すことができるメンタリティーと力を育ててくれるのです」と。
機構ではロゴマークやポスターもつくっています。10月には、東京で大きな祭典も予定されているようです。
作文上達のコツ 2010年3月 @文京区都立中高一貫校
五輪(ごりん) 身体の中の宇宙
五輪といえば、4年に一度の近代オリンピックの代名詞になりました。
オリンピック旗の五つの輪は、左から、オセアニア、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの五大陸を表すものです。
でも、「五輪」という言葉は、昔からあります。
仏教で、宇宙の万物を構成する五つの要素のことです。地、水、火、風、空の五つで、「五大」「五智輪」ともいいます。
宮本武蔵が書いたといわれる「五輪書」も、この「五輪」になぞらえて、武芸兵法の心得を綴ったもので、地、水、火、風、空の五つの巻に分かれています。
人の身体に当てはめて、「五体」と同様の意味で使われることもありました。
万物の構成要素が、私たちの身体の中にも、あるのですね。
身体の中も、心の中も、まだまだ、未知なる宇宙です。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
作文上達のコツ
一夜漬けでは決して上達しない作文、国語だけでなく、様々な教科を学ぶために大切な能力なのですが、じっくり取り組む時間の余裕がないのが教育現場の実状でしょう。日本経済新聞1月15日付夕刊「らいふプラス」の面に、「自宅で作文上達のコツは」(小学生向け)と題して、3人の専門家のアドバイスが記事になっていました。ポイントをまとめておきますので、作文指導の参考にしてください。
まずは、1月号でも紹介した宮川俊彦先生(国語作文教育研究所)。
よく「自由に書いていいよ」というアドバイスをしますが、それは逆効果です。子どもたちは「何を書いたら無難だろうか」と意識しすぎてしまい、書く手がとまってしまいます。むしろ「○○○を書いてみたら」とテーマの糸口を与えるのです。内容は「冷蔵庫の中身」や「今日のイライラ」など何でもありです。一つのことを毎日ひたすら記録するだけでもいいのです。毎日の記録はとても大切です。毎月のテーマに関連することを、いろいろとひろいあげて、子どもたちとの会話をはずませてほしと思います。「『書くことがない』なんて言わせないことが大事」です。
頭の中で考えたことをそのまま文字にするのは難しいのです。本当に言いたかったことと、子どもたちが書いた内容のギャップに注目する必要があります。作文を読んだ後、子どもの話を聞くのです。そして書けなかったことを直すのではなく、「言いたいことがいっぱいあるのね」と肯定的にとらえてあげるのです。そうすれば、「自分の作文を理解してくれたと思い、上達につながる」ということです。
次に、作文専門塾「言葉の森」を主宰する中根克明先生。
原稿用紙に向かう前の「準備」を重視し工夫しています。まず白い紙を用意し、そこに四角い枠
をいくつも書きます。その中に、思いついた文章や単語を書き出します。例えば、「今日は寒い」「富士山がきれい」「皆でサッカーをした」……。書きながら、枠同士を矢印で結んで自分が考えたことを説明したり、イラストを書き添えたりします。その後、その紙を見ながら原稿用紙に作文を書き始めるのです。アイデアや書きたいことを視覚化して整理することで、長文を書くことに慣れていくことができます。長い文章をいきなり書かせるとだいたい短く終わってしまいます。
最後に、小学校教諭の森川正樹先生(兵庫県尼崎市立武庫小学校)。
作文への苦手意識を払拭するために、短文を書くことを勧め、「箇条書きの鬼になれ」と言っているそうです。家庭では「発見ノート」を持たせ、見つけたことをひたすらメモさせているとのです。「子どもは言葉を捕まえてくる中で『書いている自分』を発見し、作文への抵抗感が薄まる」ようです。
その応用編として、「親と子の聞き取りゲーム」を紹介しています。保護者が「今日は子供の日だったね」などと切り出し、筋道を立てて話します。それを子どもがすべてメモして、全部書き取れたら満点です。単純な方法にも思えますが、「書き取りの中で論理的な文章の型を教えることができる」といいます。
作文の書き出しは、多くの子どもが苦手です。「どう書き始めたらいいか」と考え込んでしまって、原稿用紙が一行も埋まらないこともあります。森川先生は、作文の「まね」から入ることを勧めています。面白いと思った本を片っ端から図書館から持ってこさせ、その本の書き出しの表現をまねてみるのです。「自分で考えようと言われても、それができない場合が多い」ので、様々な好きな本をまねすることで、逆に文章の個性は広がるようです。
他人の文章から学ぶことが大切なことは、どの先生も指摘しています。中根先生が強調しているのは、音読で文章を記憶することです。教科書に載っているような名作ではなく、自分が書く作文に近いイメージのエッセーなどが適しているとのことです。
家庭での作文上達のポイントをまとめると次の5カ条になります。
1、「自由に書いて」は禁句
2、作文のテーマを積極的に与える
3、書き始める前に、考えをメモに
4、保護者の話を聞き書きさせる
5、好きな本のまねもOK
志ある子を育てる 2010年2月 @文京区 学習塾 中学受験
心根(こころね) 花の咲かない冬の日は……
心を土壌に見立てる発想は、農耕民族の日本人らしいですね。
心根は、時には本性をさしたり、根性や気だてをさしたりしますが、どれも心の深い部分のことです。植物は、根っこさえ枯れなければいつか芽を出し、花を咲かせたり、実を結んだりすることができます。
人の心も同じではないでしょうか。
心にも花が咲きます。そして枯れてしまうこともあります。
そんな時でも、根だけは枯らさないように、土を耕したり、肥やしをあげたりすることが大切なのですね。下へ下へと丈夫な根を伸ばせば、今度は、きっと、前よりもすばらしい花が、咲くことでしょう。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
志(こころざし)ある子を育てる
児童心理(金子書房)1月号の特集タイトルです。「志」という言葉を聞くことも使うことも少なくなってきているように思います。「志す」となれば、「心指す」の意味になり、心がその方に向かうこと。成し遂げようとする目標を心に決めるという意味になります。人生に対する前向きの姿勢、生きる情熱に通じる志をもつことは、いつの時代でも大切なことに変わりはありません。夢や希望がもちにくいといわれる昨今、子どもの志を育てるにはどうしたらよいかを考える内容になっています。
体験談コーナーのタイトルは、「私に志が芽生えたとき、そして現在の私」。安部譲二(作家・「ジェットコースターのような人生」)、尾木直樹(教育評論家・「虹の志」)、片岡鶴太郎(俳優・画家・「心のゆくところを見極める」)、中村桂子(JT生命誌研究館館長・「志を持ちそびれて」)、舞の海秀平(スポーツキャスター・「夢が決意に変わったとき」)、増井光子(よこはま動物園ズーラシア園長・「願うと道は拓ける」)の六名の方々の体験です。やはり体験談の方が印象に残りますね。
精神科医の春日武彦氏が、「志なき時代の中で」と題する小論の結論部分で、生きる意味について言及しています。生きる意味については別の文脈に属す二つの回答があるのではないかとし、ひとつは、多様性ということについて。
「人類そのものに多様性があればあるほど、危機を乗り切ることも可能性を活かすことも容易になる。あえて個性とは言わない。人それぞれの多様性が、人類に可能性と『したたかさ』をもたらす。そういった点では、生きる意味とは『とにかく生きていること』そのものであるということになる。さらに言えば、自分らしく生きることがベストというわけで、だからそれが何らかの成果をもたらすかどうかはわからないけれども、潜在的な可能性を示しただけで生きる意味は十分に果たしているということになるだろう」と。
もうひとつは、もっと個人レベルで「充実感」といったものをどれだけ大切に思うかといった点を指摘しています。
「本来、なぜ人の心は充実感を覚えるようにできているのだろうか。答えは、それが精神的な安定をもたらすからである。寂しさや不安や無力感や、それどころか(おそらく)衰弱や死への恐れさえも、その由来は空虚さへの本能的な嫌悪ないし恐怖であろう。それに拮抗し自己の存在感を確認する証こそが充実感なのであり、だから充実感には満足感のみならず、ある種の安堵感が含まれていることになる。充実感を追求することは、生きる意味というよりは、切実感にあふれる『業』に近いものかもしれない。だが我々は、充実感を覚えることにおいて生を全うしつつあると感じるようにつくられているのである。生きる意味を実践しつつあると感じるようにできているのである。そして志は、システマチックに充実感を獲得するためにきわめて能率的な方法論でもあるのだ。志を持とうが持つまいがそれは個人の勝手かもしれない。が、志を持ったほうが明らかに人生は充実し、精神的に楽になる。現代は、そんな当たり前のことを教えてもらい損ねた不幸な人々のあふれた時代なのではないか。そんな気がしてならない」と。
片岡鶴太郎氏は、子どものころから芸能の仕事をやりたいと思っていて、小学四年のときに見た、渥美清や棟方志功のドラマに感動し、役者になろうと決めたそうです。中3まで、ほとんど勉強はしなかったようですが、中卒ではまずいと思い、裕福ではないので公立高校に行きたいと担任に相談したら、「今の成績では公立高校には行かれない」と言われ、中3の夏休みに猛勉強、その結果、学年10番以内に入り、そのとき担任の先生が、「お前はやればできるんだ。力はもっているんだから、頑張れ」と言ってくださり、その言葉が人生の一番の核になり、今でも支えられていると語っています。
高校卒業後は、片岡鶴八師匠に弟子入りして、3年後からひとりだちして、25、6歳で『オレたちひょうきん族』に出演。バラエティー中心に活動する中、俳優としての仕事も増えてきたところで、332歳からボクシングを始め、33歳でプロライセンスをとり、そして、鬼塚選手と出会い、マネージャーとして世界チャンピオンへの階段を駆け上がると同時に、役者としても充実していた。6,7年後、鬼塚選手引退、主役をつとめていたドラマ「金田一耕助」「季節はずれの海岸物語」のシリーズも終焉。そんなときに見た夕日や花の自然の姿に感動を受け、そういう自然の生命を絵に描けるようになりたいと深く強く思ったそうです。ただただ好きなものを追い求めていった結果なのだと。
最後に次のように語っています。
「志という漢字は、士に心と書きますが、士は之の変形で、心のゆくところという成り立ちなんです。つまり、志とは、本当に自分がやりたいと思っているところに向かうということです。頭であれこれ考えたり、社会に貢献するとかいうことよりも、自分の心のゆくところをちゃんと見極めるということ、自分が何を好きなのか、そこが大事だと思いますね。夢や希望がかなわないこともあるでしょう。そんなときは、また自分に向き合い、やりたいこと、好きなこと、自分の持ち味、才能を模索することです。私が描いた絵や演技を見て、何か感じていただいたら、それはうれしいことですが、感動してもらおうなんてまったく思っていません。好きなことを生業とすることが幸せだし、それが一番自分の魂が喜ぶと思います。これからも、自分の心に向き合い、こうしたい、ああしたいという思いを一つ一つ形にしていきたいと思っています」と。
気持ちを伝えたい 2010年1月 @文京区 学習進学塾
福寿草(ふくじゅそう) 小さな花に託した、たくさんの思い
元日草(がんじつそう)、朔日草(ついたちそう)とも呼ばれます。まさにお正月の花です。南天と合わせて寄せ植えにされるのは、「難を転じて福となす」という語呂合わせだそうです。
人生には、「五福」といって、五つの福があるとされてきました。 長寿(寿命が長いこと)、富貴(財産に不自由なく、その人の地位が尊ばれていること)、康寧(身体は健康、心は安定していて穏やかなこと)、好徳(好んで徳を積むことができること)、善終(臨終を迎えるときに、心残りなく、安心して現世を離れることができること)です。 そして、「寿」という言葉には、それらの福を言葉で祝う意味があります。
花の少ない一月という時期に、鮮やかな黄金色の花を咲かせてくれるのが、福寿草、そんな小さな花に人々はたくさんの思いを託したのでしょう。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
気持ちを伝えたい
熊本県の南阿蘇村立久木野小4年の藤崎未夏(みか)さんの作文「気持ちを伝えたい」が全国に共感を広げています。内閣府が障害者週間に合わせて募集したコンクールで総理大臣賞を受賞した作品です。読売新聞「編集手帳」(12月6日・13日)で紹介され、12月10日付の社会面で写真入りの記事になりましたので、読まれた方も多いことでしょう。首相官邸のホームページで鳩山内閣のメールマガジン第9号を開くと、未夏さんのメッセージとともに作文全文へのリンクがありますので、ぜひご一読を。
はじけるような笑顔で縄跳びをする未夏さんの写真に胸が熱くなります。生まれつき左足がない未夏さんは、歩き出した頃から義足で暮らしています。運動会の練習で半ズボンをはいた時、ひざ下につけた義足を初めてみた一年生から「にせ物の足」と言われます。「義足を知らないだけで悪意はないはず」と担任の先生に勧められ、勇気を出して、一年生の教室でありのままを話したことにより、理解が広がり、未夏さんはショックを乗り越えたのです。その体験を作文にしたのです。
未夏さんの将来の夢は作家で、今はパラリンピックへの出場を目指し、バスケットボール部に入っています。来年もまた、成長した姿を作文に書きたいとのことで、楽しみです。可能性を大きくひろげてほしいものです。
もう一つは、「第10回ドラえもん大賞全国作文コンクール」(小学館主催)の記事です(毎日小学生新聞11月29日付)。
今年のテーマは、「泣いたこと、笑ったこと、怒ったこと」。審査員を第1回から務めている宮川俊彦先生(国語作文教育研究所)の講評と作文の書き方や普段の心構えについてのお話しがとても参考になると思いますので紹介しておきます。
「今回はいい作品が多く、審査員の先生方を悩ませるほどでした。日常のちょっとした出来事を素材にしながら、心の動き、人との関係、場面をとらえる目の動きなどがうまく表現されていて、作文というよりは作品といった方がよいほど、芸術性の高いものになっていて感心しました。(小学館の学年別学習雑誌のホームページに入賞作品が掲載されています) ここ数年、子どもたちの言葉は豊かになってきていて、自分の思いやエピソードを、物語的にスラスラと書いていく力はぐんと上がりました。でも、さらに高いところを目指すならば、一つのことにこだわって、深く見ていく目を養ってもらいたいと思います。『木を見て森を見ず』という言葉があります。一本の木だけを見るのではなくて、全体を大きくつかまなければダメだという意味です。でも逆に、一本の木をよく見ることで、森全体のようすやそこに生きる生態系を分析し想像することもできるのです。これもまた科学的な認識方法の一つです。このように、一つのことにこだわっていく目も作文には必要ですから、そういう目も養ってほしい。」
「虫が好きなら虫のこと、歴史の人物が好きならその人のことにこだわって、徹底的に調べて分析し、想像し、類推して自分の考えや思いを書いていく作文もあっていいのです。国語が苦手であっても、理科が好きな子、算数が好きな子も、自分の興味を深めていけば書くことがたくさんあります。作文は、国語のなかの一単元ではなくて、全教科で学習した知識や、あなた自身の体験の集大成なのです。」
「作文は、書く内容がなければ書けません。それには日々、書くための素材を蓄積しておく必要があります。素材は日常の体験の中にもたくさんあります。例えば、飲み物を飲んでも、おいしかった、冷たかったとしか思わない人と、色を見たり、指の感触を感じたり、舌で味わったり、いろいろなことをして感じながら飲む人とは格段の差があります。そういう細かな感性をもって周りを見つめていくこと。これが素材の蓄積につながります。そういう感性を、本や漫画を読んだり、映画を見たりするときにも持ち続けていき、あれを書いてやろう、これを取り上げてみようとか考えてみる。つまり、自分が書くために読む、書くために見るという手法があってもいい。」
「また、新聞を読むことも大事です。私は子どものころ、新聞のコラムを毎日書き写していました。いろいろな言葉の使い方を知ったり、文の調子や流れ、展開をつかむことができます。最初は800字を写すのに2時間くらいかかっていましたが、慣れてくると10分でできるようになりました。そのうち段々と、自分ならこう書く、自分ならこう考えるというふうに自分で書き換えていくようになります。そういう『問い直し』がとても重要です。自分で考える力がついていくのです。」
「文章を書き慣れるには、毎日、日記をつけることをおすすめします。例えば、『今日のめそめそ』『今日の空』『今日のママ』でいいのです。今日あったこと、今日見つけたこと、今日感じたことなど、一つのことだけに絞って『ことだけ日記』を書いてみましょう。一つのことに絞れば、毎日続けられるでしょう。無理して長く書く必要はありません。ときには、1行、5行、ひとことでもかまいません。何を書いていいかわからないときには、寝る前に、目をつむって一日を振り返り、再現してみること。これが重要です。そして、印象に残ったことを書いてみればいいのです」とのコメントでした。
2010年、まずは、日記を書くことにチャレンジしていきましょう。
35.9冊 2009年12月
健気(けなげ) 健やかな心
健気は、普通ではない、特別だという意味の「異(け)なりげ」という言葉が、変化したものだといわれます。 昔は、どちらかというと健康だという意味で使われたようです。 健康だということが、普通ではない、貴重な時代だったのでしょう。
やがて、勇ましいという意味や、心がけがしっかりしている、まっすぐ困難に立ち向かう、という意味でも、使われるようになっていきました。 これらは、心が健康であればこそ、できることだといえます。
現代は、身体の健康よりも、心の健康の方が当たり前のことではない時代になってきたようです。だからこそ健気な姿には、勇気づけられたり、感動させられたりするのでしょうね。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
35.9 冊
文部科学省が1954年度より3年に一度実施している社会教育調査で、子供の読書活動が活発化している実態が浮かんできました。2007年度、図書館を利用する小学生が借りた本は、平均35.9冊で、前回の調査より2.9冊多く過去最多となっています。
図書館の数も調査ごとに増加して、調査開始時の4倍以上の3165施設となり初めて3000を越えています。文科省は「図書館は身近な公共施設で、特に子供への読書活動が習慣として定着しつつある」と分析しています。
1997年の学校図書館法改正で、子供に本のアドバイスをする司書教諭の配置が98年度から本格的に始まりました。子供の読書活動を推進する法整備など、その後も行われ、「朝の読書」に代表される全国一斉読書活動の実施率は、2000年度当初の7割から、08年度は小学校で9割を超えています。
ただ、司書教諭の配置は伸び悩んでいて、小学校では6割程度です。先月この紙面で「学校図書館活用教育フォーラム」の記事をちょうど紹介したところです。 自治体ごとに策定が定められた読書推進計画については、策定率36%(今年3月末)で都道府県ごとにかなりの差があります。
過日行われた行政刷新会議の事業仕分けでは、地域や家庭が子供の読書活動を支援する事業が「廃止」となりましたが、周囲の大人が良書を推薦したり、読み聞かせなどを通じて本の楽しさを教えていくような、家庭や地域を巻き込んだ取り組みが不可欠でしょう。子供の読書環境を整えていくことは、大人の責任です。(11月13日付「読売新聞」参考)
フィンランドに学ぶ
OECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)で、フィンランドは、3項目(数学的応用力・科学的応用力・読解力)すべてにおいて世界トップクラスの成績で、日本は学力低下が浮き彫りになった結果が発表されたことは記憶に新しいと思います。
フィンランドの学習法に高い関心が集まり、「フィンランドメソッド」をうたう読書法や作文の書き方、算数ドリルといった学習関連本も相次いで出版されました。知識詰め込み型の学習ではなく、自ら問題を発見して、自分の言葉で表現し、考える力を身につけるフィンランド式は大いに参考になると思います。
『フィンランドの教育力』(学習研究社)の著者で、10年間小学校教師をしていたリッカ・パッカラさんは、「フィンランドでは、母国語をとても大切にしています。新聞や本をよく読み、家族で社会のいろいろな問題について語り合う機会が多い」また「算数の問題を解かせる際には、日常生活の中で扱えるような文章題にして指導していた」「勉強は強制ではなく、楽しんで身につけるもの。そのためには、教師も子供のレベルに合わせてさまざまな方面から教えられるようトレーニングを怠りません」と語っています。
フィンランドがなぜPISAでうまくいったのか、フィンランド教育省は、次のように公式に説明しています。
1. 家庭、性、経済状態、母語に関係なく、教育への機会が平等であること。
2. どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。
3. 性による分離を否定していること。
4. 全ての教育を無償にしていること。
5. 総合制で、選別をしない基礎教育。
6. 全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち、
柔軟であること。
7. 全ての教育段階で互いに影響し合い協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。
8. 生徒の学習と福祉に対し個人に合った支援をすること。
9. テストと序列付けをなくし、発達の視点に立った生徒評価をすること。
10. 高い専門性をもち、自分の考えで行動する教師。
11. 社会構成主義的な学習概念
つまり、教育立国ということです。その背景には、大人も子どもも読書好きであることが上げられます。国民の約8割は、日に1時間の読書をし、一人当たりの図書館利用率は世界一ということです。
日本のとるべき道も教育立国のはずです。大いに学ぶべきでしょう。フィンランドのテストは、ほとんど作文(エッセイ)で、英語や国語はもちろん、化学、生物、音楽までもエッセイなのです。つまり、自分の考えを文章にして書かせるのが一般的なテストで、穴埋め問題などはなく、すべて記述式で、制限時間もないそうです。テスト前は、やたら分厚い本をかかえて、それを読んで知識を詰め込むことをしているようです。
教育レベルは世界一でも、アメリカで起きた乱射事件と同じような事件も起きてしまっています。どこの国でも、まったく問題がないなどということはありません。それでも、生徒がとてものびのびとして自由に毎日を過ごしているということが伝わってきます。
『フィンランド・メソッド』シリーズ(経済界)の編集者は、「現地には『フィンランド・メソッド』と呼ばれるような特別な教育法はなく、ふだんの生活から生きる力を身につけられるように、自分で考え、理由をはっきりさせて相手に分かりやすく伝えることを習慣化させている」と説明しています。 作文や読書感想文を書くとき大切なことは、書きっぱなしにせず、音読しながら、どうしてそうなるのか、筋が通っているか、相手が理解できるような言い方をしているか、といった点を改めて確認することです。そうすることを意識していくなかで、発想力や論理力、表現力などが鍛えられていくのだと思います。
小説に人生あり 2009年11月
優形(やさがた) 優しさの源
優形とは、気だてや姿、振舞いが優しいことです。その「優しい」の語源は、大きく分けて二つの説があります。ひとつは、「痩(や)す」。つまり、痩せているということです。もちろん、痩せている人が優しいということではなく、身も痩せるほどに、心遣いをするということなのだそうです。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
小説に人生あり
読書によって考える力や豊かな想像力をはぐくもう――と「学校図書館活用教育フォーラム」が、9月19日、東京学芸大で開かれました。俳優の児玉清さんが「面白小説に魅せられて」と題して基調講演。続いて、実践報告や「持続可能な未来をひらく子どもたちの読書と言葉の力」をテーマとしたパネルディスカッションなどが行われました。司書教諭の専任化や学校司書の配置などを求めるアピールも採択されました。アピールの要旨は以下の通りです。(10月7日付「読売新聞」より)
「情報化・グローバル社会を生きる子どもたちには、言葉の力や豊かな想像力が求められています。そのためには、読書や調べの学習など学校図書館を活用する教育が重要です。そこで、私たちは、次の環境整備を強くアピールします。
一、学校図書館の蔵書の充実を図ること
一、司書教諭の専任化と学校司書の配置を進めること一、図書館活用教育の方法を教員養成課程で学べるようにすること
一、新聞を教材として学校図書館に配備すること」などです。
児玉清さんは、芸能界きっての読書家としてよく知られています。基調講演の内容をふまえ、読書の醍醐味について、児玉さんのコメントを参考にしながら考えてみることにします。基調講演の内容は以下の通りです。
「10歳ぐらいの時に本の面白さに魅せられて、この65年間、ずっと面白本を追いかけています。
いま、世の中には面白い小説が満ちあふれています。医学、技術、法律など、数え上げたらきりがないほど、さまざまなジャンルを舞台に面白小説が書かれています。しかし、それを読む人が反比例するように少なくなっています。大人も読まなければ、子供も読まない。まさにいま、日本はそういう国になっています。
『アタック25』というクイズ番組の司会をしていますが、本に関する問題の正答率は極端に低くなりました。谷崎潤一郎も知りません。「細雪」は「ほそゆき」と読まれます。夏目漱石となぜか永井荷風、そして太宰治。この3人以外はすべて消えてしまっています。
面白小説に取り付かれたきっかけは、子どものころに読んだ講談本。不世出の大関、雷電為右衛門が、さまざまな陰謀が渦巻く中、周囲の相撲取りをバッタバッタと投げ飛ばしながら、出世街道をばく進する。これを読んで、世の中には色々な不思議な人たちがいる。その人たちが様々な思いを持っているということを知りました。考える力、想像力が、いまどんどん欠如して、恥ずかしいような世の中になりつつあります。自分が怒られたからといって、それを他人に転嫁して刺す、あるいは医療や色々な現場で、総クレーマー化と言いますか、自分だけが良くて他人はすべて悪い、そういうような社会になりつつある。
すべては「本」というものを捨ててきたからではないでしょうか。あまりにも読書を軽視し、経済優先とばかりに、「金もうけがすべて」という時代を続けてしまった。
いま、世に満ちている面白小説のすべてに、人生というものがはめ込まれている。実際にどんなに波乱万丈な一生を生きても、何冊もの本を読み、たくさんの人生を重ね合わせてみることにはとてもかないません。「見たものだけが現実」という人たちがどんどん増えている。小説、物語を読むことによって、いかに多種多様な人間がいるか、しかもその人たちが、皆違う心を持っていることを知ることが出来る。そのことから人間をいとおしく思う心が広がることは間違いありません。
子どもたちが本を読まない社会、国に未来はありません。決して難しい本を読めというのではなく、あらゆる人生が込められている活字の世界に触れさせるということが大切です」と。
現在、児玉清さんの読書量は、月に15から20冊程度で、そのうち半数は、仕事でレビューをするためのものだそうです。いつでもどこでも読んでいるようですが、ただ一つ決まっているのは、眠る前には一番お気に入りの本を読むことで、何者にも代えがたい幸せな時間とのことです。読書を楽しむための秘けつがあるとすれば、それは少年の心を持ち続けることかもしれないとも。年齢を重ねると、本に対するワクワク感が減ってくる感じがしますが、心の中にある自分というものは、そうそう変わりはしない。確かに年をとると経験則が増えますし、理解も早くはなりますが、本に対する思いはずっと「少年の心」のままだからこそ楽しめるのだと思います。
読書は想像力の源、知識の源――すべての根源です。癒しになることもあれば勇気を与えてくれることもあります。現実では入れない場所に行き、夢をかなえ、ときには命のやり取りをすることさえできます。まさに読書の醍醐味です。
本には、人生のあらゆることが書いてあります。つまり、本を読めば「他人を知る」ことができるのです。通り魔事件やクレーマー問題、偽装事件などは、他者に対する思いやりや想像力の欠如に端を発しているといえるのではないでしょうか。
子どもたちが健全に育っていくことが非常に難しい時代になっています。子どもの頃から本の世界に触れていれば、他者を思いやる心は自然と養われていくはずなのです。
気持ちにそぐう言葉たち 2009年10月
想紫苑(おもわれしおん) 倒れても起き上がる強さ
10月の誕生色は野に咲く紫苑の明るい紫。秋の野を代表する花です。「しおん」という美しい名前は漢名をそのまま音読みしたもので、台風に倒れてもいち早く立ち直る花としても知られています。
昔、親を亡くした兄弟がいて、兄の方は忘れ草である萱草(かんぞう)を、弟の方は思い草といわれる紫苑を、そのお墓に植えました。兄は親のことを忘れてしまいましたが、弟の方はいつまでも覚えていたということです。
この話に鬼も感動したので、紫苑は「鬼の醜草(しこくさ)」と呼ばれるようになったとか。ちょっとひどい名前のようですが、「醜」(しこ)とは強いという意味なんです。かよわそうに見えますが、どんなに強い風が吹き荒れても、心には決して忘れない思いを秘め、倒れてもすぐ起き上がる……。
風の強い日は、野でそよ風に耐えているであろう紫苑の花を想います。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
気持ちにそぐう言葉たち
「世界一受けたい授業」に登場する金田一秀穂先生が、擬音語や擬態語について綴った本のタイトルです。(清流出版・2009.4.10)擬音語や擬態語が果たす具体的な役割について考えてみましょう。
言葉は決して万能ではありません。人の気持ちを十全に表す道具としては、かえって不足しているといえます。体で表現する方が、よっぽど相手に伝わる場合もあります。ですが、言葉で表現できないままという訳にはいきません。つまり、言葉と言葉の間にある隙間を埋めようとして生み出されたことばが、擬音語や擬態語です。ですから、中途半端で曖昧だったりします。勝手につくることもできるので、低級な言葉とも言えます。ですが、「悲しい」や「怒りっぽい」といった言葉よりも、「めそめそ」「イライラ」の方が、人の気持ちをより素直に表現できます。この本を執筆されたのは、こうした言葉の意味を、うまく伝えることができればと思ったからだそうです。この本の「はじめに」は、次のように書かれています。
「気持ちで感じていることと、言葉に表わされたこととの間には、かなりの隔たりがある。例えば、納豆を食べる。醤油もなにも加えず、食べてみる。その味を、どう表わしたらいいのか。辛いのでもなく甘いのでもなくすっぱいのでもない。しかし、無味というわけではない。舌に感じるものは、柔らかく、しかも喉の奥のほうに、何かの刺激もある。何よりも、粘る。口の中で粘る。その粘りはしかし、心地よい。鼻に回って、匂いもある。刺激的で、あまりうれしくないかもしれないけれど、懐かしいような香りでもある。
そのような、口の中の感覚を、言葉で表そうとしても、難しい。強いて言うとすれば、納豆を食べたときの味、としか言いようがない。感覚には、さまざまなものが混じっている。それらが同時にやってくる。多分、脳内で意識され、そうして、ある感覚をうる。しかし、それを言葉にできない。困る。人間は、そのような微妙な感覚を、言葉に表すことで歴史を作ってきた。人類の歴史は、結局、そのような事柄の集積である。そのことは、図書館へ行けばわかる。
地上にはさまざまな言語があって、人々はそれぞれの言葉で、それぞれの感覚を表現しようと苦心してきた。私たち、日本人も、日本語を使って、どうしたら、この気持ちをきちんと素直に言い表わせるか、努力してきた。日本語には、そこに、擬音語、擬態語という、とても便利なものがある。でき合いの言葉では、言えない、隙間を埋めるための言葉。気持ちの海のなかに浮かぶ言葉という島と島の間に、さんご礁のように浮かぶ、ぼんやりとした、表現されるもの。
そのようなものを、採集してみた。」ということで、すべて羅列してみます。
うとうと うつらうつら うっとり のびのび のんびり しとしと しっとり じとじと じっとり さくさく さっくり しみじみ しんみり ちょきちょき
ちょっきん じわじわ じんわり わさわさ ハックション フェックショーイ ぼんやり ぼーっと ふわふわ ふんわり ちらほら ちらりほらり ぷーん ぷんぷん ざっざっ びかっびかっ つるつる ぴちんっ ちんじゃら
じゃらじゃら 朗朗と 嫋嫋と ぴったり しっくり うかうか うっかり
すっきり ごてごて ほやほや ほかほか ぎっくり ぽっくり どたどた ぜいぜい カタカタ パタパタ ねばねば ねちゃねちゃ びっくり
じっくり クラムボン かぷかぷ きゅっきゅ ぴかぴか ぐつぐつ ごろごろ とろとろ とろり そわそわ まったり じゃみじゃみ がぽじゃぽ 煌々 凛々 ぼりぼり ぽりぽり ペラペラ スラスラ
それぞれの言葉についての、金田一先生の語り口がユニークです。擬音語や擬態語を使った国語の授業が面白くなりそうです。
金田一先生は、青少年に対して次のように語っています。
「今、世間に横行する情報は、必要のない情報であったり、編集されていたりすることが多い。時にはウソもある。マスコミが大声で騒ぎたて、視聴率ほしさのつくり上げられた情報に、踊らされてはいけない。愚かな情報を、おもしろがって流し、視聴率が上がれば、またこぞって報道する。そうして愚かな政治家が選ばれるようになれば、国は転落してしまいます。本物の情報は少ない。本当のことは、とても小さな声で語られています。耳をすまして、本物の情報を選び出す能力を身につけてほしいのです。
言葉に騙されてはいけません。そのために、批判能力や懐疑的精神も必要になってくるでしょう。自分の頭で考え、正邪を見極める。そうした力を養うことは、未来を生きるみなさんにとって、大切なことなのです。」
思考の整理学 2009年9月
虫時雨(むししぐれ) 左脳で聞く音
「虫時雨」とは、鳴きしきる虫の音を時雨の音にたとえていったものです。
時雨は、降ったりやんだりする小雨のこと。
音を時雨にたとえたものには、ほかに、「蝉時雨」や「川音の時雨」があります。
日本人は、虫の鳴き声を左脳でも聞く数少ない民族だそうです。
右脳しか使わなければ、単なる物音や雑音としてしか聞こえない虫の泣き声を、日本人は、虫の「声」として言葉として聞いているのですね。
右脳で感じた音を左脳で翻訳し、また、右脳で感じるという作業を繰り返しているのでしょう。
それは、相手の言った言葉から、その気持ちを汲み取る作業と似ています。
あなたは、虫たちの声から、どんなメッセージを汲み取りますか?
「美人の日本語」(幻冬舎)より
思考の整理学
東京大と京都大で昨年一番読まれた本です。外山滋比古先生(お茶の水女子大名誉教授)がこの本を書かれたのは、一九八三年です。「ちくまセミナー」というシリーズの一冊として刊行され、八六年に文庫化されました。「ものを考えるとはどういうことか」を軽妙な筆致でつづったエッセーです。
一昨年、盛岡市にある書店の店員が「もっと若い時に読んでいれば……、そう思わずにいられませんでした」と手書きの推薦コメントをつけて販売したのがきっかけで、突然売れ始めたそうです。発売から二十一年かけて十七万部とゆっくりした売れ行きだったのが、この二年で八十八万部まで伸びているそうです。筑摩書房は、本の帯に「東大・京大で一番読まれた本」というコピーをつけたので、さらに人気が出ているとのことです。
ほとんどの学生が生まれていなかったころに出版された本が、なぜ今の若者をひきつけるのか。出版社や大学生協が理由を探ろうと外山先生を東大駒場キャンパスに招き、七月一日、講演会を開きました。その内容が、朝日新聞(八月三日付「教育」の紙面)に紹介されていましたので興味深く読みました。
以下、記事の引用です。
外山さんは、大正生まれの八十五歳、「思考の整理学を語る」をテーマに、二時間近く立ちっぱなしで話し続けた。「コンピューターに負けないためにどうすればいいか。ずっと考えていて、『忘却こそが大切だ』と気づきました」
「思考の整理学」は、考えることの楽しさを述べた本だ。それが「忘却」と、どう結びつくのか。外山さんは語り始めた。
「人間は記憶と再生で、コンピューターにはかなわない。私たちの記憶力は不完全で、絶えず忘れてしまう。でも、人間のように選択しながらうまく忘れることがコンピューターにはできない」「忘れることを恐れないこと。おびただしい情報で、頭がメタボになれば、考えることができなくなる」
東京文理科大(今の筑波大)を卒業後、八十九年にお茶の水女子大を退官するまで、長く教壇に立った。そんな外山さんがずっと抱いていたのは、意外にも学生の名前が覚えられないという悩みだった。「記憶力の悪さがコンプレックスだった」
悩みが氷解したのは五十歳の時。フランスの思想家モンテーニュも「記憶力が悪い」と悩んでいたと知り、勇気がわいた、と明かした。コンピューターのように詰め込んだ情報と、自分の頭を使って考えた思考の違いを、忘却と記憶から説く。独特のたとえを交えた語りはエッセーそのまま。何より訴えるのは、自分の頭で考える重要性だ。
質疑応答で、学生の一人が「忘却せよ、と言われると、僕は瞬く間に単位を落としてしまいそうです」と質問。会場が笑いにつつまれた。これに外山さんはまじめに答える。「知識も食べ物と同じで大事なものだけ頭で消化して、不要なものは出してしまう。知識を得られるだけ得た後、自分で適当にそれを捨てて、頭に残った知識を個性化していくことです。新しい考えは集団の単位ではなく、一人で考えないといけない。それでなくては前人未踏の思考にたどりつかない」
「先生の理論は、科学的な実証があるのですか」という質問には、あっさり「証明できません」「ただ、科学的な実証性をありがたがるのは悪いところもある。自然科学は実証性で発達してきたが、どんどん人間から遠ざかっていった」。さらに、「実証されるものに価値があるという考えだから、文科系の学問は、発展してこなかった。信じることや面白いと感じることも大切です」と切り返した。
外山さんからのメッセージ
外山さんの専門は英文学。しかし、教育論や言語論、読書論など、手がける評論は幅広く、エッセイストとしても名高い。国語の教科書や入試問題の頻出作家でもある。「思考の整理学」ブームについて、「二十年以上ほとんど顧みられることのなかった本が、全く違う読者層に読まれている。うれしいことだ」。ヒットするまで、本のことはほとんど忘れていた。時折「千部増刷しました」という出版社からの連絡で「絶版にはなってないな」と思うくらい。それが増刷がかさなり「どうしたんだ」と驚いたという。
外山さんは、この本で、三十年ぐらいの時間が流れないと作品の真の価値はわからない、と書いている。全く新しい読者に、著者の意図とは違った読み方をされることで古典になる、というのが外山理論だ。「思考の整理学」出版当時は、卒論のテーマが見つけられない学生のためのハウツー本として受け止められていたそうだ。今は、「考えることとは何か」を求めて、若者が読んでいる。自分の理論が自分の本で実証された。「僕が死んでいれば本当に古典だった。長生きしているのでまだ古典とはいえないが、著者冥利に尽きます」
東大での講演会のメッセージは「無敵は大敵だ」。人間は、逆境の中で成長するもの。テストで優秀な成績を収め、有頂天になっている人がいくらかいるんじゃないか、と思って臨んだという。
東大生に限らず、若い世代に期待している。若い読者が、時代の閉塞感や漠然とした不安を感じ、それを自分で解決しようと本を手にしてくれているのではないか、と感じるからだ。「テストの点は人生において大きな意味はない。僕から見れば、大学生の人生レースはまだ始まっていない。自分で道を探してゆく気概を持って、人間力を高めるにはどうしたらいいのか。考えてほしい」
心と響き合う読書案内 2009年8月
心勝り(こころまさり) 昨日の自分より今日の自分
思いのほかすぐれていること、姿かたちよりも心がしっかりしていることを「心勝り」といいます。考えてみれば、すぐれているとか、勝っているという時、比べているものがあるはずです。
そして、どちらを上とするかを決めるルールが存在するはずです。
でも、心の中には、ひとりひとり違うルールが存在するのですから、比べるなんて不可能ですね。
優しいことがすぐれているわけでもない。努力家が偉いわけでもない。本当に、心勝りのする人は、自分自身の心の中にちゃんとルールを持っていて、昨日の自分より勝っている、今日の自分に喜びを感じることのできる人だと思うのです。
心と響き合う読書案内
「博士の愛した数式」や「ミーナの行進」などで知られる小川洋子さんが、未来に残したい文学遺産を紹介するラジオ番組、東京FMの「Panasonic Melodious Library」で、パーソナリティとして、一年分お喋りした内容が一冊の本になっています。(PHP新書2009.3.2発行)
日本のラジオやテレビの世界で、真正面から文学を取り上げた番組は、ほんの僅かしかないことを残念に思われて、文学が主役になる番組という点に心惹かれて、取り組まれたそうです。
最新のベストセラーであれ古典であれ、その魅力について語り合ったり疑問をぶつけあったりする場、
個人的な営みである読書ですが、電波を通して文学的な喜びを分かち合う場にしたいと考えて企画されたようです。当初は本にする計画はなく、回数を重ねるにつれ、活字にしておきましょうとの声があがり形になりました。
本を選ぶ際に最も配慮したことは、季節感だったということで、春夏秋冬の四ブロックに構成されています。また、文学遺産として長く読み継がれてゆくであろう本を選ばれているので、本の種類は多岐に渡っています。
親の世代は、昔読んだ本に再会するきっかけにもなるので、この夏休みの「読書感想文」は、親子でチャレンジするいい題材になりそうです。本の題名をすべて載せておきます。
第一章 春
「わたしと小鳥とすずと」金子みすゞ 一個人の感情を超えた寂しさ、せつなさ
「ながい旅」大岡昇平 謝罪する時にこそ、人間の本質があらわれる
「蛇を踏む」川上弘美 冒頭から読者を底なし沼に引きずり込む小説
「檸檬」梶井基次郎 日本的な感性の中に、エンジニア的な観察眼を持ち込む
「ラマン」マルグリット・デュラス「十八歳で年老いた」少女を描く自伝的小説
「秘密の花園」バーネット 自然と向き合うことで、自らが生きる意味に触れる
「片腕」川端康成 貴女なら、ご自分の体のどこを男に貸しますか?
「窓際のトットちゃん」黒柳徹子 大人と子どもの理想的な関係
「木を植えた男」ジャン・ジオノ 仕事の成果が見られないことの喜び
「銀の匙」中勘助 少年の描写において、並ぶもののない名作
「流れる星は生きている」藤原てい 子どもを守ろうとするすさまじい母親の愛情
「羅生門」芥川龍之介 飾りのない文章こそが美しい
「山月記」中島敦 男はなぜ虎に変身したのか?
第二章 夏
「変身」カフカ 人間が虫になる不条理よりも不気味なもの
「父の帽子」森茉莉 父に溺愛された娘の自由自在な精神
「モモ」ミヒャエル・エンデ 時間を心で感じられなくなったら読みたい本
「風の歌を聴け」村上春樹 言葉では書けないことを言葉で書く
「家守綺譚」梨木香歩 どれくらいの不思議まで人は許せるのか
「こころ」夏目漱石 恋とは罪悪であり、神聖なものである
「銀河鉄道の夜」宮澤賢治 「永遠」を感じることで、気持ちが楽になる
「バナナフィッシュにうってつけの日」JD・サリンジャー 誰の心の中にもバナナフィッシュはいる
「はつ恋」ツルゲーネフ 人間の複雑さを映す鏡としての父親
「阿房列車」内田百? 生産性のない、無目的な旅が持つ自由
「昆虫記」ファーブル 神様が施した秘密のしかけを、味わって読む
「アンネの日記」アンネ・フランク 言葉によって、人間は自由になれる
「悲しみよこんにちは」フランソワーズ・サガン 自分の理論に合わない人を受け入れられない悲しみ
第三章 秋
「ジョゼと虎と魚たち」田辺聖子 男の子なら愛さないではいられないジョゼの女心
「星の王子さま」サン・テグジュぺリ 肝心なことはいつでも心の中にある
「日の名残り」カズオ・イシグロ 慎ましさが美しい、英国の執事の物語
「ダーシェンカ」カレル・チャペック 本当に犬を愛している人が描いた極上の犬本
「うたかたの日々」ポリス・ヴィアン 常識無視の純愛小説
「走れメロス」太宰治 研ぎ澄まされた肉体のように美しい文章
「おくのほそ道」松尾芭蕉 「荒海や佐渡によこたふ天河」は数学にも通じる
「錦繍」宮本輝 一通ごとに成長してゆく、元夫婦の往復書簡
「園遊会」マンスフィールド 死の意味を一瞬でつかみとった少女の感受性
「朗読者」ベルンハルト・シュリンク 強制収容所で犯した罪を償うために本を読む
「死の棘」島尾敏雄 たった一つのことを書き尽くした小説
「たけくらべ」樋口一葉 ちりめんの赤色に映る恋の哀切
「思い出トランプ」向田邦子 手を震わせながら一枚一枚めくっていくトランプ
第四章 冬
「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド 絶望という一点にのみ突き進んでゆく悲劇
「冬の犬」アリステア・マクラウド 厳寒の島に暮らす少年と犬の別れを淡々と描く
「賢者の贈りもの」O・ヘンリ クリスマスの話には貧乏が似合う
「あるクリスマス」T・カポーティ 互いに愛を求め合いながらすれ違う父と子
「万葉集」 「自分のために詠まれた歌」が、必ずある
「和宮様御留」有吉佐和子 和宮様は替え玉?女性はたくましく、男性は腰砕け
「十九歳の地図」中上健次 主人公の理由なき怒りに、若者は共感必至
「車輪の下」ヘッセ 明日のことを気にしない子ども時代の大切さ
「夜と霧」V・E・フランクル 究極の残酷さを描きながらなお、世界の美しさを伝える
「枕草子」清少納言 刺繍の裏は「むつかしげ」
「チョコレート工場の秘密」ロアルド・ダール チャーリーとともに親子で楽しむ工場見学
「富士日記」武田百合子 天才の日記は献立を読むだけでも楽しい
「100万回生きたねこ」佐野洋子 ほんとうに死ねるということは、幸せなこと
小学校の英語必修化・・・ 2009年7月
詩華(しか) 言葉の花束
美しくすぐれた詩や文章のことをいいます。
普通、詩や短歌など韻文の総称は「詩歌」ですが、美しい詩や文章は、「華」になるのですね。
言葉や言の葉は、もともと「言の端」でした。言ったことや事柄の切れ端ということから「端」と書いていたのが、そのうち「葉」を当てるようになったといわれています。
そういえば、話がはずむことも「言葉に花が咲く」といいますね。どんな文章を書く場合でも、言の葉を集めて、花束を作るようなものかもしれません。
ちょっとした手紙やメールを送る際にも、ささやかな花束を贈っているということなのですね。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
小学校の英語必修化は日本を滅ぼす
月刊ウイル7月号(ワック出版)での特別対談です。藤原正彦氏(お茶ノ水女子大学教授)と渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の両氏が持論を展開しています。藤原先生の講演会に参加したときの内容は以前にも書きましたが、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」との主張は一貫しています。
冒頭では、「英語で経済は発展しない」として、英語と経済がなんの関係性もない事実を明らかにしています。渡部先生も同感しつつ、漢文や韓国語を習うのと英語を習うのは意味が違うことを指摘し、
英語には漢文的な顔とハングル的な顔という二つの顔があること、さらに、世界でいちばん使われている便利な言語であることをふまえ、その英語教育をどうするかということに話しが続きます。
藤原氏は、小学校から英語教育をしようなどというのは愚民化の最たるものだとし、日本中の人が今後も忘れ続けるであろうことは、教育の本質だと。それは、一週間の授業時間がたった20数時間しかないということだと。
例えば、「英語は大事だから小学校で教えましょう」と早くから教えようとする。「21世紀は情報化社会だからパソコン、インターネットは大事で小学校から教えましょう」となる。経済も大事だから株や債券のシステムを教えましょう。健康も福祉も国際理解も・・・。日本中がこれに永遠に騙され続けることだと。
すでに江戸時代に寺子屋の先生が見抜いたように、「読み、書き、そろばん」です。人間の知的活動で最も重要なのは、「読み」。次が「書き」。もちろん両方とも母国語で。そして、次が簡単な計算。
そう考えると、小学校に英語教育の時間など、一秒もないと。パソコンも、国際理解も健康も福祉も一秒もない。漢字を徹底的に叩き込めということになる。漢字や足し算引き算、かけ算割り算、分数小数を徹底して叩き込む必要がある。これだけでも20時間くらいかかってしまう。一週間の授業時間が百時間あれば、英語やパソコンもいいが、20数時間だから許さないと。
渡部氏も、20数時間の中に英語を入れるのには反対し、もし教えるとするなら、必ず課外でハングル的にやればいいと。ピジン・イングリッシュ的にやって、文字で書いて教えてはならないと。日本人が英語でいちばん苦労するのは、結局、音が聞き取れないこと、だから、小学校で教えるなら、遊びで課外でやること。文法を教えてはならず、点数をつけてはならないと。遊びや体操、ゲームの中で、英語の音を聞くことが重要だと。そして、先生は必ずネイティブ・スピーカーであること。
こんなやりとりから対談が始まり、17ページにわたって、多くのことが論じられています。
最後は、漢文の素読が頭にいいことを証明し、「世界に類のない発明」として、漢文の素読、文語の暗誦をすすめています。教養や独創力を養い、脳の発達を促すためにも必要なことだと指摘。
渡部氏は、オールドイングリッシュが、ラテン語もギリシャ語もなく、純粋なゲルマン語で、学問にならないと。だから、古典教育が必要だと。古典教育というのは、自分が普段使っている言葉とは少し違った言葉で、「知的に諒解する」というイメージで、これをやったのとやらないのでは、知力の鍛えられ方が全く違うと。おそらく、数学も勉強した人としない人では全く違ってくる。それは、普段使わない頭を使うからだと。漢文もレ点や返り点で、ひっくり返したりして読むから、それを読み下せるというのも同じことだと。
つまり、普段使用している言葉ではなく、「異質」のものに触れるというイメージ。文脈を文法に従って正確にやる場合、英文和訳の授業は日本語を教えているようなものだと。
藤原氏は、日本語を読み下した漢文は、すでに千年以上にわたって日本で使っているのだから日本文学であると。そもそも、漢文の読み下し文は日本語の美しいリズムの典型でもあると。
渡部氏が、漢文には「調子の悪い漢文」はなく、すべて調子がいいと。調子よく読めるように日本人が工夫したので、そもそも調子悪くは読めない。書き下しは、世界に類のない日本人の発明。また返り点も分析する点で、高度の言語学実践になる。傍若無人も、「傍らに人無きが如く」となって漠然と「傲慢」というのではなく、イメージが明瞭に浮かびあがると。
本当にすごい独創だと藤原氏。読み下して、ひらがなやカタカナを発明して、どんどん日本の文化にしていく。まず最初に徹底的に真似して、それからどんどん独創を加えていくという日本人の凄さの典型であると。一所懸命に漢文を勉強すべきであると。
美しいリズムの典型を身体で覚えるというのは非常に意味がある。一昔前の作家のほうが文章が上手いのは、漢文の素読に起因している。また美しい文語が、明治、大正、昭和の時代に膨大に書かれている。この文学上の奇跡とも言える時代に生まれた美しい文字を、小中学生に読ませたり、暗誦させたりすることのほうがよほど大事であろうと強調。
小学校の英語必修化は愚民化の最たるものであると・・・。
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