塾長トーク
読書感想文コンクール 2011年3月
大人しい(おとなしい) 大人の条件
漢字で書くとおり、語源は「大人」を形容詞化したものだそうです。
初めは、大人びている様子、すっかり成熟している様子を表す言葉でした。
それが分別が備わっている様子をいうようになり、だんだん温和、素直という意味に変わっていきました。
今では静かにしているというイメージが強いようです。
「あの人は大人だ」という時の方が、元来の意味に近いですね。
ところが、もっと遡ると、「大人」の語源は「音無」なんだそうです。音を立てない……つまり、子どものように騒がず、静かに落ち着いているから。といっても、ただ大人しいだけでは、大人とはいえないと思います。
静かに人の話を聴ける人、穏やかに自分の意見が言える人、そして漢字の通り、大きな心を持った人こそ、本当の大人といえるのかもしれません。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
コンクール
第56回青少年読書感想文全国コンクール(毎日新聞社主催)の表彰式が2月4日に行われ、上位入賞者が発表されました。小学校高学年の部で、最優秀賞の「内閣総理大臣賞」に選ばれた、高原楓奈さん(北海道教育大付属釧路小学校6年)の作品に惹きつけられました。
高原さんは、たまたま書店で出会った「ジロジロ見ないで?普通の顔を喪った9人の物語?」(扶桑社)という本の感想文を書きました。この本は、やけど、脱毛症などで「普通の顔」でなくなり、差別や偏見を受けてきた人たちの記録です。高原さん自身、顔の一部にあるあざのため、これまでに16回もレーザー手術を受けてきたのです。
高原さんが伝えたかったのは、ジロジロ見る人にあえて笑顔を返す登場人物たちです。「顔の苦難を精神的に乗り越えた『自分』を、笑顔で伝えたかった」そして、この本が「自分の中の人間性で人生を乗り越えてみせたい」という決意を、自身に与えてくれたことを訴えました。「私の中に、新しい私が誕生した瞬間だった。」と結びました。以下、全文です。
私の中の「自分」が生まれる
?『ジロジロ見ないで』をきっかけに?
6年 高原楓奈
私の顔の左半分と頸を、痣が覆っている。
痣を取るための全身麻酔によるレーザー手術をすれば、白い肌が覗くが、再発してまた
手術。
これまでに十六回の入院・手術を繰り返して来た。確かに、入院も手術も苦痛だが、私の心が一番痛むのは、手術後一週間、患部に当てがわれるガーゼだ。顔の半分を覆うガーゼは、私をミイラにしてしまう。人はすれ違い様に私を見る。「どうしたのだろう?」「事故?」「怪我?」「女の子なのに…」様々に視線は語る。
同情や憐れみといった善意と受け取りたいが、その心の発端が異様な者を見た時の好奇心にあることを、突き刺さる視線が私に教える。私は張り裂けそうな心の中で叫ぶ。「お願い。ジロジロ見ないで。」と。
私の叫びそのままの『ジロジロ見ないで』という本。?普通の顔を喪った9人の物語?の副題と共に、「普通」とは言えない九人の顔写真が表紙に並ぶ。皆が皆、笑顔で。
「勇気があるなぁ」が最初の思い。だがすぐに、別の思いが湧き起こった。
「なぜ負い目のある顔を全国にさらしてまで、顔で顔を語ろうと決断したの?」この疑問が、
私を本の世界に引き込む。夢中で貢をめくった。「私にはできそうにない。」との思いを持ちながら。
何枚もの写真と共に、九人それぞれの人生が綴られていた。海綿状血管腫・やけど・リンパ管腫・円形脱毛症……病名や原因は様々。しかし、手術や薬では普通の顔になれないことでは共通していた。顔が原因で幼い頃から陰湿なイジメにあったり、何社受けても就職が不採用になったり…言い尽くせない程の差別や偏見を皆経験している。
「もし私も手術ができなければ同じ思いを。」私には他人事に思えない。胸の芯がうずいた。ところが――。
ある人は、すれ違い様にジロジロ見る相手に、あえて笑顔でお辞儀する。慌てて目線を反らす人の多い中にも、笑顔を返す人もいる。その爽快感を大事にしているのだ。医者から無神経な言葉を浴びせられ、その悔しさをバネに後に看護学の教授にまでなる。
「医療に携わる人は、患者の気持ちがわかる人でいて欲しい」との思いを胸に。この方の心の美しさ、更に、辛さや悔しさの先にある「自分」を持っていることに、私は深い共感を覚えた。
そして私は確信した。九人は、顔の苦難を精神的に乗り越えた「自分」を笑顔で伝えたかったのだ。大きな壁を乗り越えた人の強さと美しさ、自信に満ちた人生の確かな歩みを。
読み終えた私に父が言った。「人間万事塞翁が馬だよ。」そうだ。私は、この痣がある顔のお陰で、入院・手術・ガーゼを繰り返すうちに「患者の心の痛みまでも分かる医師になろう。」という目標が持てたんだ。私の中にも、強くて固い意志を持った「自分」が宿っている。外見を怖れることはない。次の手術は予定を遅らせ、夏休み明けにガーゼのミイラ顔で登校してやろう。人の視線に振り回されず、自分の中の人間性で人生を乗り越えてみせる。
私の中に、新しい私が誕生した瞬間だった。
英語より「論語」を 2011年2月
塾長トーク 2月
億劫(おっくう) 気の遠くなるような時間
もとは、「おくごう」だったのが、変化して、「おっくう」になったそうです。
「劫」は古代インドで使われていた時間の単位。一劫は一説には、百年に一度、天人が降りてきて、その羽衣の袖が岩をこすって、すり減るまでの時間だそうです。
なんとも気の遠くなるような、とてつもなく長い時間ですね。そのまた一億倍が億劫ということだそうです。
それくらいのはてしない時間をかけて修行しても、悟りの境地にたどり着くのは、難しいそうです。だから、億劫になってしまうのでしょう。
でも、億劫の正体がわかれば、気が軽くなりませんか。こんなに途方もないことを考えて、面倒がっているなんて、おかしいですね。
さあ、目の前のことを、ひとつひとつ、かたづけましょう。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
英語より「論語」を
文藝春秋1月号、藤原正彦先生と作家の宮城谷昌光氏の特別対談です。日本人が依るべきは、中国の古典であって、英語公用語化で企業はつぶれると予測しています。藤原先生は少し興奮気味で、冒頭次のように述べています。
「言葉というものは、話されている国の文化や価値観と切り離すことはできません。例えば戦前の日本の陸軍は、中枢がドイツに留学していた人に偏っていた。そのことが、三国同盟を成立させるなど日本を破壊に追いやった一因と言われています。海軍の方は留学先が色々の国に分かれていたため、考えがリベラルで、米英を敵にすることになる三国同盟には強烈に反対しました。今マスコミに出ているようなエコノミストは、アメリカ帰りばかりでしょう。いまや日本の経済はすっかりアメリカ的な価値観に支配され、まったく上手くいかなくなりました」と。
小学校での英語の授業については、
「2011年からは5、6年生に週1時間の必須科目となることが決まっています。年間35時間、2年間で70時間です。これではまったく効果がないので、いずれ倍の週2時間にするでしょう。それでも小学校時代に、僅か140時間にすぎません。たとえば、小さな子どもがお母さんや兄弟や友達、テレビなど、1日10時間くらい日本語と接すると仮定すると、1年間にほぼ3600時間、小学校になる6歳までで20000時間にのぼります。こうして日本語が話せるようになる。20000時間の日本語に、
140時間の英語……比較してみても、雀の涙ですよ。小学校の英語教育は時間の無駄です」と。
さらに、
「祖国とは国語だといつも思っています。領土は戦争で取ったり取られたりするものですし、血だって混じり合います。国語を防衛することが、祖国を大切にする本質中の本質なのに、それを守ろうとしないのは残念でなりません。日本に住んでいる限りは、やはり日本語を徹底的に学ぶ必要があります。英語は、単なる伝達手段に過ぎません。人間として重要なのは、伝達内容です。いくら伝達手段の勉強を必死にしても、伝達すべき内容は学べません。特に初等教育では、圧倒的なウェイトを国語そして読書におくべきなのに、ゆとり教育による時間数の削減に加え英語の導入により、また運動会や学芸会の練習のためといって、国語の授業時間ばかりが削られていると先生方が嘆いていました」と。
宮城谷氏は英文科の出身ですが、古代中国の歴史・偉人にスポットをあてた作品を数多く書いています。学生時代の英文科の先生は、アメリカ系の文学を読まれる方と、イギリスの作家を研究されている方とがいて、卒業論文をどうしようかと思って、アメリカの作家の本を読んでみると、とにかく文章に情緒がなかったということで、口が渇く文学だと思ったようです。いつかこういう文学がいいと日本人が思うような日がくるのだろうかと感じ、とても耐えられなかったと語っています。話は文学に移り、藤原先生は、
「日本の文学は世界でも比類がないほどすぐれていて、ほとんど奇跡に近いと思います。『万葉集』にはじまり、明治、大正、昭和と素晴らしい作品が生み出され続けてきました。文語文学も圧倒的です。これほど素晴らしい文学や文化があるということが、日本人に誇りや自信を与えていると私は思います。残念ながら、海外には日本語を読める人がまだ数少ないので、それほど図抜けていることは、まだ世界ではあまり認められていませんね。私の友人に日本の中世文学を専攻しているイギリス人がいます。何が一番難しいか尋ねたら、すぐに『もののあはれだ』と答えました。イギリス人にもあると言っていましたが、日本人ほど鋭くはないそうです。日本の中世文学は、『もののあはれ』だらけですから、大変なんでしょうね。ほかにもわびとかさびとか幽玄とか……私もかなり英語は達者だと自負していますが、それでも英語で説明できる自信はありません。そもそも『もののあはれ』に近い言葉すら、英語にはありませんから。中国文学はどうですか?」と。宮城谷氏は、
「中国には、日本の『万葉集』にあたる『詩経』という優れた詩集があります。孔子が、『詩を読みなさい、そうすればどんな立場になってもきちんとものをいえるようになります。詩を知らないと何もいえませんよ』と子弟に奨めた作品です。もののあはれとまではいきませんが、民衆の悲哀や、兵士が出征する悲しみなどが多く詠まれているもので、儒教の重要な書物とされています。残念ながら、現代の中国人は、ほとんど読んでいません。私の本を読んで、『孔子ってそんなに偉かったんですか』と言った留学生がいるくらいです。」藤原先生が続けて、
「共産革命を経て、歴史が断絶してしまったんですね。今の日本も、漢籍も含めた日本文学をきちんと読んで後世に伝えていくことが大切です。中国は革命によって断絶され、韓国は漢字を捨ててハングルにしたことで文化が断絶した。歴史の断絶は、一国の文化にとって致命的です。」
「渋沢栄一は『論語と算盤』の中で、『論語を拠り所に倫理と利益を両立させることが商売の要諦』と言いました。そして日本資本主義の父とまで言われるようになりました。漢籍だけで、大局的な世界観を持つことができた。吉田松陰にせよ、佐久間象山にせよ、西郷隆盛にせよ、みんな漢籍のみです。」
現代の財界人の多くも、中国の古典に助けを求めている事実に関して、ヨーロッパ的な考え方では限界があることを指摘して、中国の古典の話しに。
「論語の他にも、元の時代の役人が、時期ごとに役人が為すべき忠言を説いた『三事忠告』(さんじちゅうこく)、朱子が書いた『宋名臣言行録』、人間の運命あるいは陰徳陽報について民の時代に書かれた『陰しつ録』、それから、唐太宗が群臣と政治を論じた書である『貞観政要』は、会社経営に不可欠な一冊です。」
「湯川秀樹先生や、フィールズ賞を受賞された数学者の小平邦彦先生も素読をやらされたとおっしゃっていました。湯川先生は、4、5歳の頃、父親が祖父に向かって『そろそろ漢籍の素読を始めてください』と頼み素読が始まったと『旅人』に書いています。その時は意味がわからなかったけれど、漢字に対する恐れがなくなって読書が好きになったそうです。特に『荘子』がお好きだったらしく、中間子論のアイデアにつながったと。漢籍を学ぶことで、ノーベル賞までいってしまう。これこそ国際競争力ですよ。」
「数学者の岡潔先生も、昭和天皇に『数学の研究はどうやってやるんですか』と問われて、『情緒の力でいたします』と答えたエピソードがあります。その情緒とは『野に咲く一輪のスミレを美しいと思う心だ』と、美的感受性の大切さを話したそうです。もしノーベル賞に数学があれば、20人以上受賞していると言われるほど、日本の数学レベルは高い。」さらに対談は、語彙力漢字力の話しとすすみ、最後に、宮城谷氏は、
「まずは、英語を公用語にした会社を全力で応援しましょう。先駆者として立派に斃れてもらわねばなりません。そのあとは、古典に回帰してほしい。子どもたちには漢文の素読もぜひやってもらいたいし、経営者には『貞観政要』を読んでもらいたい」と。
新聞で鍛える国語力 2011年1月
塾長トーク 1月
初春(はつはる) 明けましておめでとうございます。
新しい年の始まりです。新年を迎えることができた喜びを分かち合い、神に感謝したい……。
そんな思いから、正月を迎える準備にも力が入り、やがていろいろなしきたりが生まれていったのでしょう。
旧暦では一月から春が始まります。
外は、まだまだ寒くて、春にはほど遠い気候ですが、新しい年を迎える心の華やぎは、初春という言葉にふさわしいですね。
一月の異称といえば、睦月です。
これは、睦び親しむ月という意味だそうです。
一月の始まりを、家族仲よく、笑顔で過ごすことができれば、この一年も、きっとすばらしい年になることでしょう。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
新聞で鍛える国語力
昨年7月号で「新聞で育む思考力、判断力、表現力」と題して、NIE(Newspaper In Education)の実践活動について書きましたが、その後も、新聞各社は教育的内容の紙面作りに力を入れて取り組んでいるように感じます。
インターネットの普及は、さまざまな分野に多大な影響を及ぼし、電子化の波は活字文化にも押し寄せ、いまや電子辞書が主流になり、読書さえ電子書籍の利用が増えつつある状況です。
過日、電子黒板を使った授業を見学しましたが、従来の黒板を使った授業をはるかにしのぐ充実した内容で、生徒の授業に対する集中度もかなり高まっていました。教師の感想も「限られた時間のなかで、より内容の豊富な授業が展開できる」とのコメントでした。電子黒板の威力はすごいものだなと感じた次第です。教科書が電子化されることには異議を唱えたいところですが、電子書籍の急速な広がりをみていると、教科書がそうなる日もそう遠くはないような気がします。
電子化が加速する中で、改めて紙媒体のメディアの特性を見直す必要もあるのではないかと考えます。辞書を引くことによって、目的以外のことばと偶然出会うことはよくあることです。思わず別のことばを調べたりします。そういう学習効果が多々あります。
新聞にも同じ状況が当てはまります。新聞からは多くの情報を総合的に得られるという特色があります。辞書や新聞に触れることは、その手触りも含めて、さまざまな情報を一つの空間から得るという心地よさを覚えることも事実です。
今回のタイトルは、朝日新書から昨年11n月に発刊された本のタイトル『中学入試のための新聞で鍛える国語力』(町田守弘著、2010.11.30)です。著者は、早稲田実業中高の教諭、教頭を経て現在、早稲田大学の総合科学学術院教授で、国語教育のスペシャリストです。
新聞は、古くから教材として使われ、最近の「NIE」の活動でも注目を集めてきましたが、この本
では「入試問題」の視点から取り上げています。著者自身が、教育現場で入試業務に直接関わった経験、国語科の教師として授業を担当し日々生徒たちに接した経験をもとにまとめられていますので、出題者の意図するところがよくわかります。
本書の目次は、以下の通りです。
第一章 入試問題作成の現場から
第二章 論説文を読む――テーマをとらえよう
第三章 エッセイを読む――筆者と一緒に考えよう
第四章 コラムを読む――効果的な「表現」
第五章 社説を読む――現代社会を見つめよう
第六章 報道と小説を読む――自分の考えを表現する
第七章 詩・漫画・その他を読む――メディア・リテラシーを鍛える
第八章 新聞と国語学習
電子メディア全盛の今こそ、新聞が入試最良の「参考書」になるのではないかと思います。
著者は、本書の中でコラムをいくつか書いていますが、その一つに「作文力の磨き方」がありましたので、以下要点をまとめておきます。
「国語の入試問題では、文章を書く力がよく問われる。中学国語入試に多い作文問題は、説明問題に作文を取り入れるという傾向で、中には本格的な作文の力量が問われるような問題もある。
私が直接関わった入試で、スポーツ界で著名な卒業生の書いた文章を選び、考えをまとめる課題を出題した。同様に、ある中学の今年の入試では、『天声人語』が問題文となり、思ったことや感じたことを書く問題だった。字数は百字程度で、このように文章読解とセットにして作文を書かせることが多い。このような出題だと受験生の答案は不思議なくらいよく似ている。
ある大学入試で、『道』というテーマで作文を書く問題が出題されたとき、採点者は驚いた。ほとんどの答案が、高村光太郎の有名な『道程』の詩の冒頭、『僕の前に道はない 僕の後ろに道はできる』というフレーズの引用から書き始めていたというのだ。
まさにステレオタイプ。バターン化された発想の典型的な事例といえる。採点者は同じような答案を、何人分も続けて読まされる。そんなときに、異なる切り口の作文を読むと、とても斬新な感じがする。
冒頭で紹介した入試のときも同じような状況だった。ていねいに書いてはいるが、何か物足りない感じがした。そんな中に、作者は本当は孤独だったのではないかと指摘した作文があった。この受験生は文章を常識的な尺度で読まずに、しっかり自分の感性で読み、パターンを打ち破る個性を生かして、それを作文にしたためたのである。複数の採点者から高い評価を得た作文だった。
文章表現は短期間に育成されるものではなく、ある程度長期にわたる学習の積み重ねが不可欠になる。文章を書く力は、実際に文章を書くことによってしか育成できない。日頃から文章を書く習慣を身につけておきたい。効果的なアウトプットの前には、十分なインプットが必要。作文を書く前に、まず『読むこと』の学習を充実させる必要がある。『書くこと』の前提として、多くの作品に接することが重要である。
そのためには、新聞が役に立つ。自然に多くの話題を共有し、また文章の構成を自然に学ぶこともできる。特にコラムや社説の文章は、話題がタイムリーである点に加えて、構成がしっかりしているという点から、インプットに適している。と同時に、新聞を読むのはアウトプットにもきわめて有効な活動になっている。新聞を読むことがそのまま作文のスキルアップにつながるわけである。
新聞は作文に対してもふさわしい教材になる。新聞で鍛えた国語力を活用して、個性的で独創性のある作文が書けるようになってほしい。
一度書いた文章を改めて読み返して、推敲することも大切である。そのときに、書き出し、用語の使い方、全体の構成など、いくつかのチェックポイントを設けるとよい。できれば、他の人に読んでもらって意見を聞いたうえで、もう一度書き直すと、作文力をさらに磨くことができる。」
この素晴らしい日本語 2010年12月
人間(ひとあい) 人と人間の違い
普通に読めば「にんげん」ですが、実は、この字は他にも読み方があります。「じんかん」と読めば、仏教用語で、人の住む世界、現世のこと。「ひとま」と読めば、人のいない時。
そして、「ひとあい」と読めば、人づきあいや、人に対する愛想のことで、人愛とも書きます。
どれも、人と人との関係を表す言葉ですね。
人は一人では生きていけない……。だから、人との関わり方が人間そのものなのでしょう。
何といっても、人間関係が、一番自分を磨いてくれるもの。
人間=人愛というやさしい響きの言葉とともに、人と接していくと、いいかもしれませんね。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
この素晴らしい日本語
「むずかしいことを やさしく やさしいことを ふかく ふかいことを ゆかいに ゆかいなことを まじめに」数々の名作を世に残した作家、劇作家井上ひさしさんのモットーとしていたことばです。
このモットーに忠実な仕事をすれば、「遅筆堂」の名も当然だろうとうなずけますが、実践するのは至難の業です。父のいない少年時代に、母は「この本の山を父さんと思いなさい」と言ったそうです。
「シェークスピアはホラ吹き親父、モリエールはおもしろ親父……私の父はゴーカケンラン」と。
「読書は知恵の永遠の連続性への参加。本が父親とは母のとっさの言い抜けだろうが、意外にも本質を言い当ててもいる」ともあります。
井上ひさしさんをしのび、文藝春秋編集部によるインタビューの一部を紹介したいと思います。八年前の特別号に掲載された内容です。
「いま日本語ブームと言われています。世界中どこでもそうでしょうが、ある国民が閉塞状況に陥ると、かならず三つのことをします。その三つとは、言葉、歴史、健康です。困った状況に追い込まれると、人は自分の使っている言葉が不正確だったり曖昧だったりしたためにいまの混迷を招いているんじゃないかと反省するんですね。同じように、歴史を振り返って、失敗の原因を探ろうとする。また、過去を遡ったり言葉を検証するのも面倒くさい、どんな時代が来ても人間健康であればなんとかなるはずだという人もいる。ですから先行きがわからなくなると、言葉ブーム、歴史ブーム、健康ブームがくるというのが僕の説なんです。いまはそれが三つとも来ていますね。」
「齋藤孝さんの本は、言葉と身体を一緒にしたところに新しい着眼点がありました。言葉ブームと健康ブームを一緒にしたところが新発明です。ともあれ、ここ十年ぐらいずーっと言葉も歴史も健康もブームです。やっぱり、みんな先行きに不安を感じているんですね」
「僕の義理の姉にあたる米原万里さんはロシア語の同時通訳で、最近はエッセイストとして活躍していますが、もちろん『姉』とはいっても、僕よりずっとお若いのですが、彼女に外国語習得の秘訣を聞くと、外国語をちゃんと話せるには日本語をしっかりと勉強しないと駄目だという意見でした。つまり日本語を母語とすると、学ぼうとする外国語は、分数でいえば分母となる母語よりは、決して大きくならないそうです。もし大きくなったら、外国語のほうが母語になってしまう。だから、系統立てて日本語を勉強し、母語の分母を大きくしていけば、外国語もよくできるようになるというのが、彼女の理論です。」
「ただ、言葉ブームと言っても、文章力は鍛えないと身につきません。アメリカの大学にはフレッシュマン・コンポジションというのがありまして、とくに州立大学は法律で決まっているんですが、一年生は毎週一回作文を提出することが義務づけられているんです。ハーバード大学では、一八八五年から
作文が一年生の必須科目です。どんな立派なことを考えても、どんな発見をしても、自分の中に留まっているかぎりそれは何ものでもない。それを人の役に立つように社会に提出するには、つまり外部化するには文章力が必要だということになるんですね。これはヨーロッパの大学でもそうです。」
「二年生になると、今度は読書学という勉強をさせられます。速くたくさん読み、読んだ本のダイジェストをする。つまり、要約の力をつけるわけです。三年生では作文の教師が二十五人の学生に一人の割合で付いて、週三時間、さらに進んだ作文の技術を教えます。そういうことを欧米の大学は必死になってやっています。それでも足りないから、もっとやれという声もあるそうです。そういう大きな戦略は、残念ながら日本にはないですね。」
「ウィトゲンシュタインという有名な哲学者が、言葉の限界がその人の限界だというふうに言っています。逆に言うと、混沌とした状況を、われわれは言葉によってしか整理できないんです。この日本語ブーム、言葉ブームをいい機会として、言葉を正確に、しなやかに、強く、あるいは弱さを持った強さで使うことによって、この混乱した、先行きの見えない状況をなんとか打開し、切り開いていきたいものですね。」
国語の「神業」 2010年11月
永久(とこしえ) 世界平和記念日に
「永久」という漢字を当てましたが、「常しえ」「長しえ」とも書きます。
「永久」は、永く久しい、つまり、果てしなく続くことです。
「とこしえ」も、同じですが、そこに、不変という意味が強調されているような気がします。「常し」は、変わらないという意味の形容詞。それに、方向を表す「方(へ)」がついて、「とこしへ(とこしえ)」になったものだからです。
人は、幸せな時に、永遠を願うもの。今の、この幸せが、永久に続きますように……と。
つまり、「とこしえ」を願うことのできる人は、幸せな人なのですね。
1918年11月11日、第一次世界大戦が終結し、その後、世界平和記念日が制定されました。でも戦争はなくなっていません。
どうか、世界中の人が、「とこしえ」を祈る日が来ますように……。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
国語の「神業」
森上教育研究所が主催するセミナー「わが子が伸びる親の『技』(スキル)研究会」の国語講師である田代敬貴氏が、このセミナーの講演内容をまとめた本のタイトルです。(講談社)塾教師をはじめたころ、ある生徒に「算数はよく勉強するのに、なぜ国語はやらないの」と問うたところ、「算数には解き方がある。それを覚えれば解けるし、解けたときはうれしい」との返事で、この「解き方」という言葉が心に残ったそうです。その後、算数の授業を体験し、「一行問題」を解こうとしたがギブアップ。算数の教師に、こんな簡単なものをと笑われ、「線分図」というものを使って一分以内で片付けられたという体験がことの始まりで、以来、生徒に納得させられる国語の「解き方」を考え続けてきたということです。
先月号で紹介した大村はま先生の「国語教室」、いままでにも齊藤孝先生の「齊藤メソッド」や樋口裕一先生の「樋口式」などを紹介してきました。いろいろな先生が、この国語や作文の手法を編み出して確立しているのですが、算数ほど子どもたちには定着していないということでしょう。
国語力とは、一言で言えば「読み書きできる力」です。文章や相手の話の内容を理解するとともに、自分の言いたいことが相手に伝わるように、表現を駆使できる力です。どんな教科でも、テキストの文章を読み、先生の話を聞いたりして学ぶわけですから、あらゆる勉強は国語力が土台です。国語力が高い子どもは、必然的に勉強もできます。
国語力は、人生のあらゆる場面で問われます。すべての受験、就職活動や転職などの面接でも、相手を説得しなければなりません。説得する力は、国語力を磨く中で培われます。ですから、子ども時代だけではなく、大人になってからも、ずっと必要な力です。これからは相手を論理的に打ち負かすディベート力だけでは駄目で、相手を説得する力が求められています。
と同時に書く力を身につけることが大事です。子どもの国語力をみるには、作文を書かせるのがいちばんです。理解力、論理力、説得力、語彙力すべてがわかります。作文のできる子は表現力がある子です。書くことの楽しさを知っているのです。
書くことの楽しさを味わうには、誰かが自分の文章を読んだ時に、喜んでもらえるものを書くことです。ちょうど料理を作るような感覚です。料理の場合は、いい食材をそろえ、一生懸命工夫して作ります。そして、できた料理をみんなに食べてもらい、「おいしい」と感想をもらえると、うれしくなって、料理を作ること自体が楽しくなります。上手く作れない場合もありますが……。
文章も同じです。読んだ人に喜んでもらいたいと思いながら文章を書いて、文章を見せ、味わってもらい、たくさん褒められることによって、書く楽しさを実感していくようになります。書いた文章を読んでくれる人がいないと、書く喜びはなかなか実感できないということです。
幼い時から、親と書くことを通したコミュニケーションができ、書くことに熱中できた子どもは、着実に国語力を伸ばしていくことでしょう。
田代氏の、「『読む』ための『技』(スキル)」と「『書く』ための『技』(スキル)」のポイントは以下の通りです。
第一部 「読む」ための「技」
一章 「はじめに文章を読むことありき」
*集中力を養い、文章を一気に読みきる。
*一文要約トレーニング
「?について、筆者は?ということを言おうとしている。」(説明文)
「?が?した話しをとおして、筆者は?ということを伝えようとしている。」(物語文)
*<一分間四百字音読>トレーニングが効果的
二章 読書と受験国語の違い
*受験国語は精読のゲーム―「物語文」といえども「説明文」の読み方をせよ。
三章 「映像化して(絵に描いて)」読む
四章 「図式化して」読む
五章 文章を「かたまり」で読む
*説明文を「話題のかたまり」で読む。
・常に「話題」を意識して読む。
・書き始めの話題を明確にする。
・話題を示す言葉を探す。
六章 「人物の二面性」を読む
七章 「人間・人生に結びつけて」読む
八章 「過去の回想パターン」を読む
*「過去の回想パターン」=現在の筆者の心情を詠む。
*「親」とは、「愛情・苦労」を持つ存在だと「覚えさせる」
第二部 「書く」ための「技」
一章 「伝わらない言葉」「成り立たない会話」
*「単語だけ」の会話をしない。
*日頃から、相手の質問に対する答え方を考えて話す訓練をする。
二章 生徒の答案から学ぶ「書く」ための三つのポイント
*長い一文を書かない。
・一文に多くの内容を詰め込もうとしない。
・不要なことを書くと文はかえってわかりにくくなる。
・一文を頭の中で作ってから書く(必ず文末を考えて書き出す)。
・書く前に口に出してみるトレーニング。
*常に主語を明確にして書く。
*同じ言葉や言い回し、同じ内容をくり返さない。
三章 記述問題の分類とその攻略法
1 心情・理由説明型
*書く前に、答えのポイントを短い言葉で考える。
*その「決め手の一言」で答案をしめくくる。
2 要約型
*書く前に材料をそろえる。
*百字→二文で書く。
*説明文の記述問題は「パーツとセメダイン」で書く。
*答案のわく組みを考えてから書く。
3 換言型
*わかりにくい言葉(指示語・比喩など)を部分的にわかりやすい言葉に言い換える。
4 体験型・感想型
*受験生の自覚と練習量で逆境打開力を養う。
*本、新聞、テレビ、日常会話などで、情報の「引き出し」を増やす。
*「常識的判断」「道徳的判断」を身に付ける。
・感想や意見をはっきり決めてから書く。
・理由や説明の部分を分けて書く。
評伝 大村はま 2010年10月
百果の宗(ひゃっかのそう) 楊貴妃の涙
百獣の王は獅子、百花の王は牡丹。「宗」も「王」と同じく、一族の中心という意味です。つまり、果物の王様は……。
答えは、梨。中国では、昔からおいしく味わうだけでなく、薬用としても利用されてきたそうです。
「なし」の語源も、いろいろあるのですが、中が酸っぱい実という意味で、「中酸実(なかすみ)」→「なすみ」→「なす」→「なし」と変化したという説が有力です。
平安時代は、「なし」という音が「無し」と同じなのを嫌って、「有りの実」と呼んだそうですよ。
花は、桜より少し大きく、真っ白です。春雨に濡れる様子は、楊貴妃が涙ぐんでいる姿にたとえられました。
たっぷりの果汁は、楊貴妃の涙なのかもしれません。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
評伝 大村はま ことばを育て 人を育て
「日本一の国語教師」「授業の神様」と呼ばれ、2005年に亡くなった国語教師・大村はま先生の九十八年の生涯をつづった評伝が8月に刊行されました。生徒にことばの力をつけることに情熱を注いだ人生。教え子の一人で、「大村はま記念国語教育の会」事務局長である苅谷夏子さんが、死後に読むことを許された日記などを基に、六年がかりで書き上げました。晩年のはま先生の仕事を手伝い、彼女を最もよく知る一人です。2007年には、「優劣のかなたに 大村はま60のことば」を発刊しています。
「生前、先生は自分の教え子が、自分が育てたことばの力を使って自分をどう描くのか、とても楽しみという顔をなさっていた。その顔を思い浮かべながら書き進めた」と苅谷さんは言います。
苅谷さんは、13歳のとき、転校した中学校で初めて、当時63歳のはま先生の教えを受けます。新聞や雑誌、広告、漫画などの切り抜きを使った手作りの教材、生徒一人ひとりに応じた課題など、毎回工夫を凝らした型破りの授業に「びっくりするばかりだった」と。「チューリップを見てもきれい、桜を見てもきれいと言う、そんな粗い神経ではつまらない」というはま先生。ことばを、細かに、着実にとらえながら読み、考え、表現していく授業は、とにかく刺激的で面白かったとも。
ある日、自叙伝を書く課題が出され、自分のことだからすぐ書けると、高をくくっていたようです。いざ紙に向かうと書けない。文集になるかもしれないと思うと、自分が抱える悩みは書けない。はま先生はそれを見越したように「書くということは選ぶこと、捨てること。それが表現するということだ」と教えられた。事実をありのまま書かず、あったことでも書かないこともある。「小さいけれど、世界の真実を一つ知ったような気がした。それを体験の中で悟らせる手際のよさと明快さに感服した」と。
評伝は、「幼いころ」から「それから」まで全13章、570ページにわたる大作です。明治維新で士族から酒屋のあるじに転じた祖父の時代までさかのぼり、兄の死や姉へのコンプレックスに悩んだ少女時代、読書に打ち込んだ女子大の寮生活、そして旧制高等女学校や戦後の新制中学での計五十二年にわたる教師生活。手作り教材で、魔法のように子どもの学ぶ力を引き出す授業の様子が、生き生きと描かれています。「生徒が自らの言語能力を総動員せざるを得ない授業を実践した。人間はことばで考え、他人と接し、人生を切り開く。豊かなことばは生きる力になる」。はま先生の信念です。
生徒たちには好かれたはま先生でも、学校という組織の一員としては、苦しい思いをしたようです。行く先々の学校で、同僚たちの反感を買いました。「生徒にはあんなに寛容だったのに、職業意識ゆえか同業者を見る目は厳しかった。上辺を縫うような言葉が言えない人でした」と。また、「なめらかな生き方ができない『不器用の親分』としての大村はまも知ってほしい」と。
退職後は、著述や講演を通じて、国語教育向上に尽くしたが、晩年、思うように話せなかった講演を悔いて、老いを嘆く姿に胸をつかれたと。
「教員の方々に読んでほしい。大村はまのしたことは容易にはまねできない。それでも、てっぺんを目指せばここまでのことが成し遂げられる仕事なのだ、と誇りをもってほしい」とも。
「何を目指し、どう生きようとしたか。理解しているつもりだったが、『そうだったのか』と新たな発見もあって、もう一度会って話しをしたい」。執筆を終えて、そんな思いを抱いているようです。
大村はま先生のおもな著作
「教えるということ」 共文社 1973
「大村はま国語教室」全15巻 筑摩書房 1985
「新編 教えるということ」 筑摩書房 1996
「教師 大村はま96歳の仕事」CD付 小学館 2003
「灯し続けることば」 小学館 2004
「22年目の返信」 小学館 2004
「学びひたりて 大村はま自叙伝」 共文社 2005
正しい日本語で心豊か 2010年9月
塾長トーク 9月
野分(のわき) たとえ、叩きのめされても
「野分」とは、野の草木を分けるように吹く強い風、つまり、台風のことです。
特に立春の日から数えて二百十日から二百二十日に吹く強い風のことをさしたようです。
この日は、台風が来る確率の高い日として、江戸時代から暦にも記されています。
ところで、「台風」という言葉。日本語のように見えますが、実は英語のtyphoonに漢字を当てたものです。
気象観測技術が進歩して、予測はできるようになりましたが、それでも、台風は毎年、大きな被害をもたらしています。
荒れ狂う自然の猛威を前にするたび、人々は叩きのめされ、それでもまた、乗り越えていく……。そんな営みを繰り返してきたのですね。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
「正しい日本語で心豊か」
読売新聞社が、「日本語検定」の意義に賛同し、次回11月の検定から「特別協賛」の形で協力することになりました。作家の椎名誠さんと角田光代さんの対談記事のタイトルが、「正しい日本語で心豊か」です。日本語の向上が生活を豊かに、幸せにするという内容です。ことばに対しての椎名誠さんのコメントをひろってみます。
「言葉は頭で考えるのではなく、全身で感じ取り、編み出していくものだと思うんです。宮沢賢治は晴れ渡った空の下の山を、『うるうるもりあがって』と書いた。子どもの頃にそんな新鮮な表現に触れ、言葉の可能性を感じていました。結局、感性なんですね。SF小説を書くときは現実にはない世界なので、結構、自分で言葉を作ります。ある種、快感です。思うのは日本語の幅広さ。もっと違う言い方があるんじゃないかと類語辞典を引くと、似たような言葉の多さにがくぜんとする。もう言葉の海ですね」
「言葉は人の魅力度にも関係する。恋愛相手をくどく時だって、『超好き』では全然、真実味がない。僕の父は小学生の時に亡くなったが、先生がお通夜のときに僕を勇気づけるために、かけてくれた言葉がある。言葉自体は忘れてしまったけれど、しみじみね、ああそうか、やっぱりでっかく生きていこうと、思ったことは覚えている。ピカッと光る黄金のような言葉があったんですね。だから、その人のことは忘れない」
角田光代さんのコメントは、「社会との接点」という視点です。
「スーパーに行くと毎回、『レジ袋、ご入り用ですか?』と言われるんです。袋を持っていないのは見えているはずなのに。『袋を持ってこい』という意味だと感じ取って、もう嫌になってスーパーに行くのはやめました。社会では語彙が少なくなって、そんな『テレパシー能力』が発達したのかもしれません。満員電車で携帯電話が鳴っただけで全員がぱっとその人を見つめる。慌てて電話を切る。あの無言の非寛容さが広がっていくとちょっと怖い」
椎名さんが「みんなストレスの塊で一触即発です。いろんな場面で、普通に言葉が出るようになればいいと思うんだけども」と。
角田さんが続けて、「自分の言葉がないのはしんどいですね。成長期に言葉を獲得してしれば何か不快なことがあった時、口に出して言える。持っていないと、はけ口が見つかりずらい。若者が『ムカツク』と言いますが、実はいらだちではなく、悲しさや悔しさかもしれない。その中間かもしれない。気持ちをはき出す出口となる言葉がたくさんあれば、それだけ楽になるはずです」「私にとって言葉とは、社会との接点です。今、私が私としてかろうじていられるのは、言葉を使って、自分が何に違和感を、不満を、怒りを感じたのかを考え、伝えようとしているからだと思います。自分の言葉を持っていれば、いつか必ず言葉の合う人が現われて、なぜこんなにストレスを感じずにしゃべれるのだろうと思える時がきっと来る。それはものすごく強い喜びです。日本語を学ぶ人には、そんなことも心の片隅に置いてもらうとうれしい」と。
正しい日本語を身につけるという当たり前のことが、できにくい時代になってきました。情報が氾濫し、言葉の乱れが指摘されている今だからこそ、「日本語検定」や「言語力検定」の必要性を感じます。
■日本語検定:NPO法人「日本語検定委員会」が年二回、全国の約一〇〇〇会場で実施。一級から七級までの七段階。一級を取れば、日本語の最上級の使い手と見なされる。「敬語」「文法」「語彙」「表記」「言葉の意味」「漢字」の六分野から出題。日本語の総合力を試す。一級?三級を卒業に必要な単位の一部として認める高校や、推薦入試で点数を加点する大学も増えている。二〇〇六年発足。昨年は、九万三千人が受検。
■言語力検定:(財)文字・活字文化推進機構が二〇〇九年に開始。OECD(経済協力開発機構)主催・PISA(学習到達度調査)の問題作成方法に基づき、国際基準に沿った言語力を測定。一級から六級までの六段階。文章や図表、グラフなどから情報を取り出し、解釈し、評価する力、すなわち論理的な「思考過程」を重視。これらを養うことは、国語だけでなく、数学、理科、社会、英語などすべての学科の学力向上の基盤となる。
15歳の寺子屋 15歳の日本語上達法
塾長トーク 8月
入道雲(にゅうどうぐも) 大きな夏の友達
坂東太郎、筑紫二郎、丹波太郎、奈良二郎、和泉小次郎、信濃太郎、石見太郎、豊後太郎、四国三郎……。すべて入道雲の異称です。入道雲がしばしば発生する川や方角の地名を名のっています。
雷を鳴らし、恵みの雨を降らせる入道雲を、人々はやんちゃ坊主のように親しみをこめて呼んでいたのでしょう。
入道とは頭を剃って仏門に入ることですが、坊主頭のことをさすこともあります。発達した積乱雲の、雲の先が坊主頭に見えることから入道雲と呼ばれるようになりました。
冬にもできるそうですが、やはり、夏のシンボル。青い空にもくもくと盛り上がった白い雲を見ていると、「おーい」と呼びかけたくなります。
おおらかに、私たちを見守ってくれている、力強い存在ですね。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
「15歳の寺子屋15歳の日本語上達法」
国語学者の金田一秀穂先生が中学生向けに書いた本で、講談社から発刊されています。学校嫌いだった金田一先生が教えてくれる言葉の教科書です。毎日、何気なく使っている言葉ですが、そもそも言葉とは何なのか、日本語力をアップさせる秘訣なども伝授してくれていますので、みなさんにぜひ読んでほしいと思います。次のような文面で綴られています。
「実はぼくたちは『刺身』そのものを食べているのではありません。『刺身』という言葉を食べているのです。」
「ぼくたち人間は、言葉を通じて世界とつながっています。それはまた、ぼくたちが常に世界とワンクッション置いてしかつながれないということであります。」
「言葉の意味をきちんと理解すること。それは、世の中を正確に理解することにつながっていきます。ちょうど画素数の少ないカメラより、画素数の多いカメラの方が被写体をより正確に美しくとらえることができるように、語彙を増やし、それを正確に理解しておくと、人は世の中の出来事をきちんと定義できるようになる。」
「人間にとって大切なのは記憶することではなく、頭を柔軟にし、視野を広げて、考える力をより高めていくことです。具体的には、ある知識と、まったく別の知識を結びつけて、別の考え方を作り上げていくことなんですね。」
「人生にはどうしても、この相手だけには自分の考えをきちんと伝えたいという場面が必ずあります。そんなとき、論理的で明晰な文章の構成力が身についていれば、自分の意見を感情的にならず、客観的に正確に相手に伝えることができるのです。」
良書に触れ、本物を知ろう
金田一先生は、読書についての問いかけには次のように答えています。
今は情報量がとても多く、本物と偽者が世の中にあふれています。こうした情報社会では、本物か偽者かを、見極められる目が必要です。そのために何が大切なのか。本物を知ることだと思います。
例えば、良いコックになるためには、おいしい料理をたくさん食べていなければいけません。コック自身が最高のグルメ(食通)でなければ、おいしいものは作れないでしょう。
読書も同じです。良書を見つけるためには、本物によく触れること。本物の本をたくさん読むことだと思います。それでは、本物とは何かというと、それは一人一人の感性があるから難しいけれども、やはり古くから読まれている古典を薦めたいですね。古典が苦手だったら、興味があるものを、いっぱい、がむしゃらに読んでみることです。たくさん読む中で、良書かどうかを見抜く目も自然と身に付いていくものですから。労力を少なく、手っ取り早くやりたいならば、やっぱり古典ですね。
読書の魅力とは、本物に、とても簡単に触れられることです。例えば、本物の絵や音楽、スポーツなどに触れたければ、遠くの美術館に行ったり、ライブなどに行ったりと、お金も時間も掛けます。
それに比べると、本は、古本屋に行けば、たった100円で本物に出合えることがある。カントにしろデカルトにしろ、簡単に手に入る。図書館に行けば、無料で読むことができる。
子育てに奮闘する親へのメッセージとしては、次のように語っています。
子どもに何かをさせたいと思ったら、何より大事なのが、親の姿勢です。本を読ませたいならば、親が本を読み、感動している姿を見せることが一番。自分が読んだこともないのに、子どもに勧めても効果は薄いですから。
親が教養を高めることです。本にしろ、音楽、絵画にしろ、親が教養を高め、面白いと思えば、子どもはついていくものです。また、私自身、幼いころの大好きな本は、時刻表、地図帳、百科事典など、一般的に読書の対象とされていない本ばかりでした。でも、こういう読書もあるんですね。
これらの本も、ものすごい情報が得られるし、想像力をふくらませることができます。地図帳を見て、ここには何があるのか。ここに行くには、どんな電車で行けばいいのかなど、いろんなことに思いをめぐらせながら、心を豊かにすることができます。
だから一見、普通と異なる、おかしなことのようでも、子どもが興味を持ったことは、温かく見守ってほしいなと思います。
新聞で育む思考力、判断力、表現力 2010年7月 文京区 公立中高一貫校
塾長トーク 7月
峠(とうげ) 一年の折り返し点
「峠」という漢字は、日本で考え出されたそうです。山の上りと下りの境目ということが、よくわかります。
昔は、峠や村境に災いが入ってこないように、また、旅の安全を祈るために道祖神を祭ったそうです。その道祖神にお供え物をささげた、つまり「手向け(たむけ)」たということが、語源だそうです。「たむけ」が「とうげ」に変化していったというわけです。
夏至から十一日目にあたる日から、五日間を、「半夏生(はんげしょう)といいます。農作業がひと段落して、休息を取った時期、また、毒草や大雨を用心した時期でもありました。
七月二日はちょうど一年間の折り返し点です。一年の峠といえるかもしれません。あらためて、一年の旅路の幸せと無事を祈りましょう。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
新聞で育む思考力、判断力、表現力
「読売NIE(Newspaper In Education)セミナー」(4月24日)のテーマです。今年で18回目です。新しい学習指導要領や教科書に「新聞の活用」が入り、全国学力テストにも新聞で読解力を試す問題が出題されました。教材としての新聞の有用性に注目が集まっています。新聞各社も積極的に取り組んでいる記事が目立つようになりました。
NIE(エヌ・アイ・イー)とは、いうまでもなく、学校などで新聞を教材として活用することです。
1930年代にアメリカで始まり、日本では1985年、静岡で開かれた新聞大会で提唱されました。89年から日本新聞協会と教育界が協力して組織的に取り組み始め、今年で21年目です。新聞各社も力を入れています。読売新聞でも定期的にカラー見開きの特集を掲載しており、各地の学校に記者を派遣し「出前授業」をしたり、先生向けのガイドや「親子新聞教室」など多彩な事業を展開しています。現在、NIEを実践している国は、70か国をこえ、日本で実践している学校は500校を超えています。
セミナーでの昨年の基調講演は斎藤孝先生、今年は乙武洋匡さんでした。それぞれの講演内容を抜粋してまとめておきます。
斉藤先生は、「言葉の大切さ」と題して、活字文化を推進していくことの重要性を訴えています。
今の学生は、新聞も本もあまり読まず、「活字を読まない人間撲滅運動」が必要であると。新聞は「社会の凝縮」という感じで、川のように流れる社会を毎日すくって見せてくれる。テレビや携帯電話でニュースは十分という人がいるが、それらは細切れで誤解を受けやすい媒体。テレビはまとまった話をするには不向きだが、新聞ははっきり論評できる。認識力を高めるには、書き言葉の力が不可欠である。
日本の昔の教育では、文語体の本をそのまま暗唱させた。夏目漱石や幸田露伴など明治の人は漢字漢文の素養があった。熟語を組み合わせ、文脈を理解する力こそが頭の良さだと知られていた。
話し言葉には、広辞苑に載っているうちの数十分の一程度しか使われない。細切れの知識では発展性がなく、活字を読まない人は的確な表現や論理的な話ができない。プールで泳いでいるのに、海を泳いだ気になっているようなもの。新聞や本を読んでいないと話が散漫になり、そういう人は面接ですぐわかってしまう。
学生によく「私の話が頭の中で漢字に変換できているか」と確認する。人の話を頭の中で活字にしながら聴く力がないと、有益な情報を取り逃がしてしまう。日本の子どもの読解力が落ちているといわれるのに、誰も責任をとらない。自衛するしかない。
活字を読むことで人が理解力を深めるようになると、他人に寛容になれて、社会も安定してくる。言葉に習熟すると自分の気持ちが楽になり、キレにくくもなる。感情も言葉で成り立っている。母語である日本語を通じてしか、世界を理解することはできないわけだから、活字文化を推進していくことはとても重要だと。
乙武洋匡さんは、「教育現場を経験して」と題して、子どもたちとどのように接したかを報告してくれています。
今年三月までの三年間、公立小学校の教員をした。両親や先生など周りの大人に恵まれて成長したので、次の世代に恩返しをしたいと思い、教員の世界に飛び込んだ。いろいろなことを感じたが、まず子どもが何でも聞いてくることに気づく。休み時間に「トイレ行っていい?」、ノートは「ここに一行空けますか」「新しいページにしますか」と尋ねる。ささいなことから大事なことまで自分で判断できない。
だから授業では、「自分なりの答えを出すこと」が出来るように工夫した。例えば、聖徳太子の「十七条の憲法」を扱った授業では、十八条目を考えてもらった。僕らも、これが正解だよというのを徹底的に覚えさせられ、自分の考えを書きなさいというのはあまり言われなかった。自分で考える癖をつけないままだと大人になって困る。その先に、多用な考えを身につけ、色々な方向から見られるようになってほしい。それには新聞はとても有用だと思う。
「最近の子は大変でしょ」という質問を一番多く受けた。子どもたちにそんなに問題があるとは思わなかったが、放課後、携帯ゲーム機に何時間も熱中している姿は昔と違うなと思った。ただ、それを作り、与えたのは大人。大人の変えた社会で子どもも変わらざるを得ない。必死で対応する子どもの起こした問題だけをとらえ、「最近のこどもは」と言うのは無責任だ。
担任になってからは「のび太君でも居心地がいいクラス」をめざした。漫画「ドラえもん」で、のび太君は何をやってもだめですが、あやとりだけは天才的。勉強に限らず、駆けっこが速い、元気にあいさつができるなど、その子の良さを見つけてほめる。教員はそれを周りにも認めさせてあげることが大切。のび太からあやとりを教えてもらう。逆上がりは俺たちが教えてあげるよ、という関係を築けたらいい。生かしあい、補い合うと、もっと伸び伸び生き生き暮らせると思うと。
未来をつくる君たちへ 2010年6月 文京区 公立中高一貫校
塾長トーク 6月
推敲(すいこう) 小さくても大きなこだわり
唐の国の詩人、賈島(かとう)が、ロバに乗りながら、詩を考えていました。
「僧は推(お)す月下の門」という句の、「推す」を「敲(たた)く」に変えた方がいいかどうか、迷っているうちに、有名な詩人、韓愈(かんゆ)の行列にぶつかってしまったのですが、韓愈は、怒るどころか「敲く」の方がいいと、アドバイスしてくれたそうです。
この故事から詩や文章を書くとき、言葉や表現を何度も練り直すことを、推敲というようになりました。
文字が、作品になるためには奥行きが必要でしょう。平面的な紙に書かれた文字、それが、立体的な広がりを持って初めて、作品といえるものになると思うのです。たった一文字の向こうに、大きなこだわりが隠れているから、思いが伝わるのですね。
「美人の日本語」(幻冬舎)より
未来をつくる君たちへ
歴史小説家の司馬遼太郎氏が、かつて小・中学生に向けに書いた「二十一世紀に生きる君たちへ」という随筆があります。教科書にも載りましたし、何種類かの書籍にもなっていますので読まれた方も多いと思います。毎年、卒業生に渡しています。次のような書き出しです。
「私は、歴史小説を書いてきた。もともと歴史が好きなのである。両親を愛するようにして、歴史を愛している。歴史とはなんでしょう、と聞かれるとき、『それは、大きな世界です。かつて存在した何億という人生がそこにつめこまれている世界なのです。』と、答えることにしている。私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史の中にもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。だから、私は少なくとも二千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。この楽しさは――もし君たちさえそう望むなら――おすそ分けしてあげたいほどである。ただ、さびしく思うことがある。私が持っていなくて、君たちだけが持っている大きなものがある。未来というものである」さらにこう語りかけました。
「自己を確立せねばならない。……自己といっても、自己中心におちいってはならない。人間は、助け合って生きているのである。……助け合うという気持ちや行動のもとのもとは、いたわりという感情である。他人の痛みを感じることといってもいい。やさしさと言いかえてもいい」と。
未来はどうなるかわからないけれども、でもそれは君たち自身がつくるものなのだ、二十一世紀をすばらしい時代にしてほしい、との司馬氏の願いがこめられています。
昨年、NHKが「未来をつくる君たちへ」という3本シリーズの番組を放送しましたが、その内容が本になっています。――司馬遼太郎作品からのメッセージ――です。(NHK出版)
司馬氏がよく書いていた、明治維新をはさんだ「激動の時代」の人々を題材にして、この21世紀を生きるヒントを小・中学生に届けたいという企画です。
21世紀がはじまってすでに10年。すばらしい時代に生きているような気持ちにはなれない「不安の時代」とも言える状況です。社会や世界がどう変わっていくのか、よく分からないし、確かなことは誰も言えません。だから、どうすれば「人が幸せになれる世の中」をつくれるのかを、若い世代に考えて欲しい、というプロデューサーの思いが感じられます。
はじめに評論家の立花隆氏が「情報を手に入れて未来を拓こう」と題して、緒方洪庵から学ぶことを語っています。次に作家の関川夏央氏が、「歴史上の人びとは、僕らの友だちだ」として正岡子規と夏目漱石の交流から見えてくるものなど。最後は評論家の松本健一氏が、「世界への好奇心をもとう」と題して高田屋嘉兵衛の生き方から学ぶことを語っています。テレビで伝えきれなかったメッセージが全部つまっているとのことで、それぞれ小・中学生に読みやすい文章でよくまとめられています。
「21世紀はこうなりますよ」「こうすればいいんだよ」と教えてくれるわけではありません。それどころか、「大変な時代がくるかもしれない」と言っています。そんな時代だからこそ誰かに頼るのではなく、「自分の頭で考える」「自分の目で周りの世界に素直に向き合う」ことを強く勧めてくれています。「自分の頭で考え」「自分の力で未来をつくる」ヒントがかくされています。
21世紀を生きるみなさんが、ちょっと困ったとき、不安におびえたとき、こんなはずじゃなかった、と思ったときに、目の前がちょっと開けるような、そんな「宝箱」のような言葉がつまっている本です。ぜひご一読を。
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