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塾長トーク

奇跡のリンゴ 2009年3月

夢見月(ゆめみづき) 草木と一緒に見る夢

 三月の異称といえば、まず弥生(やよい)ですね。語源は、木草弥生月(きくさいやおいづき)が変化したものだということです。「弥」は、「ますます」とか「いよいよ」という意味ですから、木や草がますます生い茂る月ということになります。
 その月に咲く代表的な花が季節の呼び名になることも多く、桃月、桜月という呼び方もあります。そう、旧暦では、桜が咲くころですから、花咲月(はなさきづき)、花見月ともいいました。
 桜のことを夢見草ともいいます。そこから夢見月とも呼ばれるようになりました。
 日に日に暖かくなり、春を迎える喜びが、一番感じられる月です。
 新しい芽をふき、次々と花を咲かせる草木たち。それにつられて、私たちも、美しい夢を見ることができますね。

「美人の日本語」(幻冬舎)より

奇跡のリンゴ

 NHK番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に、りんご農家・木村秋則さんが登場したのは、2006年12月7日のことです。番組のエピローグ「プロフェッショナルとは」との問いに、「技術も心も一緒に伴った人が、プロじゃないでしょうか」と答えた言葉は、強く印象に残っています。「農薬も肥料も使わず、たわわにりんごを実らせる」そんな農家がいる、という情報を聞きつけ、取材を始めたのはその年の夏で、撮影は6週間に及んだそうです。番組では紹介しきれない、木村さんの挑戦の記録を本にしようと言い出したのは、番組キャスターの茂木健一郎氏とのことです。そして一年半、昨年7月に幻冬舎から出版された本が「奇跡のリンゴ」です。木村さんの、長く壮絶な闘いの記録がここにあります。読んでいて涙があふれてきます。本の帯には「ニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語」と。

 農薬が存在しなかった時代のリンゴは、農薬を使わなくても病害虫に負けない品種しか栽培できませんでした。多くの農薬ができて、より大きいより甘いリンゴを実らせる木を作ることだけを目的とした品種改良をしてきました。だから、リンゴは、「農薬に深く依存した、現代農業の象徴的な存在」なのです。かつては木村さんも10種類以上の農薬を使っていました。皮膚はかぶれ、奥さんも寝込むことがしばしばあったといいます。リンゴを無農薬で栽培することが、木村さんの夢になりました。しかしそれは、りんご畑の壊滅を意味することなのです。

 明治20年代から約30年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村さんと同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていました。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だったのです。木村さんは、その結論をたった一人で覆そうとしたのです。日本のリンゴ栽培の歴史を逆回しにして、破滅への道を突き進んでいたともいえます。以下本文より。

「4つの畑の800本のリンゴの木は衰弱して枯れかけていた。何も打つ手が思い浮かばない以上、今はまだ辛うじて生きているこのリンゴたちも、やがて病と虫に負けて枯れていくしかない。すべてのリンゴの木が枯れて、すべてが終わりになるだけだ。自分が今なにをなすべきか、答えはすでに出ているのだ。今すぐすべてを諦めて、みんなと同じ栽培方法に戻るしかないのだ。けれど……」
「無農薬でリンゴを栽培する。それが自分の天命なのだ。歯を食いしばってそのことに打ち込んでいるときに、雷にうたれたようにはっきりとわかったことがある。ここで自分が諦めたら、もう誰もそれをやろうとはしないだろう。自分が諦めるということは、人類が諦めるということなのだと思った」

「パイオニアは孤独だ。何か新しいこと、人類にとって本当の意味で革新的なことを成し遂げた人は、昔からみんな孤独だった。それは既成概念を打ち壊すということだから。過去から積み上げてきた世界観や価値観を愛する人々からすれば、パイオニアとは秩序の破壊者の別名でしかない。ライト兄弟が飛行機を飛ばそうとしたとき、ヨーロッパのある学者は、飛行機なる人工の機械が空を飛べないことを証明するために論文まで書いたという話がある。ガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられて、強引に地動説を取り下げさせられたのも同じ話だろう。現代人の感覚からすれば、なぜそんな問題で大騒ぎするのか不思議なくらいだ。地球が太陽の周りを回っていたからといって、何かが変わるというわけでもない。空を飛ぶ実験をすることに、どんな不都合があるのだろう。けれど、当時の人々の反応は違った。物理学の法則に反するとか、神を冒涜するとかいう理屈はおそらく後付けで、どちらも根っこにあるのは、変化に対する人間の本能的な恐怖だ」
エピローグで木村さんはこう語ります。

「知れば知るほどよ、自然というものはなんとすごいものだと思う。自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ。そうあるべき農業の姿だな。今の農業は、残念ながらその姿から外れているよ。ということはさ、いつまでもこのやり方を続けることはできないということだよ。昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化しているわけだからな。アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐわかる。どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていくことは出来ないんだよ。だって人間そのものが、自然の産物なんだから。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。決して大袈裟でもなんでもなくな。私に出来るのは、リンゴの木の手伝いをすることだけだ。たいしたことが出来るわけじゃない。だけどそれは人間の将来にとって、きっとためになることだって。これは少々大袈裟だけどもな、でも心の底からそう思うようになったんだ」

 

 木村さんの挑戦心、探求心、優しさに心動かされるだけでなく、常識とはなにか、そして、現代社会のあり方を考えさせられる一冊です。
 最後に、本書で紹介しているタゴールの詩「果物採集」です。


危険から守り給えと祈るのではなく、
危険と勇敢に立ち向かえますように。

痛みが鎮まることを乞うのではなく、
痛みに打ち克つ心を乞えますように。

人生という戦場で味方をさがすのではなく、
自分自身の力を見いだせますように。

不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。

成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、
あなたの御手に握られていることに気づけますように。



木村さんの挑戦心、探求心、優しさに心動かされるだけでなく、常識とはなにか、そして、現代社会のあり方を考えさせられる一冊です。
最後に、本書で紹介しているタゴールの詩「果物採集」です。

2009.04.02  投稿者  | PermaLink | トラックバック(0)
人格・言葉の魅力 2009年2月

幸い(さいわい) はじめから幸せ

古くは、「さきわい」といい、「さきわう」の連用形が名詞化したものです。「わう」は、「味わう」や「賑わう」と同じく、動詞を作る接尾語。
そして、「さき」は、「さち」と同じで、もともと、獲物をとるための道具や、その道具の持つ霊力のことだそうです。やがて、「海の幸、山の幸」というように、獲物そのものをさす言葉になりました。
獲物があることが幸せ……。これは、マズローという心理学者の欲求段階説では、第一段階の生理的欲求にあたります。人間の欲望は、五段階の順を追って満たされていくというもので、その後に安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、自己実現欲求と続くわけですが、日本では、ほとんどの人が第二段階までは満たされていることでしょう。
私たちは、すでに、多くの幸に恵まれているのですね。

「美人の日本語」(幻冬舎)より

人格・言葉の魅力

いま、オバマ氏のスピーチを聞いています。(「オバマ演説集」朝日出版社)のCDです。米国史上初のアフリカ系(黒人)大統領となるオバマ氏がたどってきた道筋を見ると、マイノーリティーの少年が苦難を乗り越えて一国の指導者へと成長する物語です。はじめに、彼の価値観を形づくった半生を伝えたCNNの放送が収録されています。
国民を熱狂させるオバマ氏の魅力の源泉にせまるとともに、スピーチの名手と評される秘密が、言語表現のワザにあることも分析されています。

2004年の前回大統領選のとき、オバマ氏は連邦議会議員ですらなく、州議会の一新人議員にすぎませんでした。その彼が、一躍全米の注目を集めるきっかけとなったのが、7月27日の民主党大会での基調演説「大いなる希望」です。聴衆の中には、感動のあまり、「おお神よ、これは歴史に残る演説です」とつぶやいて涙を流す人がいたといわれ、いまや伝説と化しています。
秘密の一つ目が、このスピーチにある「実演」と呼ばれるテクニックです。
「私は今夜、彼らにこう言います、リベラルなアメリカも保守的なアメリカもありはしない――あるのはアメリカ合衆国なのだと。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもありはしない――あるのはアメリカ合衆国なのだと。……イラクにおける戦争に反対した愛国者もいれば、それに賛成した愛国者もいます。われわれはひとつの国民であり、われわれ皆が星条旗に忠誠を誓い、われわれ皆がアメリカ合衆国を守っているのです」このフレーズです。

オバマ氏は、ケニアからの黒人留学生とカンザス州出身の白人女性との間に生まれました。多民族国家アメリカにおいて、彼自身が「人種の融合の象徴」といえます。つまり、彼自身がスピーチの内容を実演しているということです。

2008年3月4日、予備選の山場のひとつであったミニチューズデーの結果は、ヒラリーの3勝1敗で、オバマ陣営は改めて長期戦を覚悟しなければなりませんでした。そうした状況の中でも、彼は、疲れや落胆を示すことなく、「われわれにはできる(Yes, we can.)」と発し続け、演説の最後は次のようなフレーズです。
「世界は何を見るでしょう?われわれは世界に何をつたえるのでしょう?われわれは何を示すのでしょう?」と疑問文を三回繰り返した後で、「われわれは、党派や地域、人種や宗教を越えてひとつになり、すべてのアメリカ国民が生まれながらに持つ権利としての繁栄と機会を取り戻すことができるのか。国際社会を先導して、21世紀の共通の脅威――テロや気候変動、大量虐殺や病気――に立ち向かうことができるのか。恐怖や貧困から逃れたいと望む海の向こうの疲れ果てた旅行者に対して、アメリカ合衆国こそが現在も、そしてこれから先もずっと、最後にして最良の地上の希望であるというメッセージを送ることができるのか」と再び疑問文を3回繰り返しています。そしてさらに、「われわれはこう言います、こう願います、こう信じます」と、疑問に対する回答を3回同じ構造で繰り返し、最後に「大丈夫、われわれにはできる!」と締めくくりました。
秘密の二つ目が、ここにある「再現」の多用です。同じ構造の文を繰り返すことで、リズムを整え、聴衆に内容を理解しやすくする効果があります。彼の話しぶりとも相まって、大きな魅力になっています。

2008年8月28日、民主党大会で正式に候補者としての指名を受けました。「大いなる希望」から
4年、「アメリカの約束」と題して演壇に立ちました。これがキーワードです。3つ目の秘密は、覚えやすくインパクトのある言葉やフレーズを、政治的スローガンとして用いる技法で「イデオグラフ」と呼ばれます。「希望」や「変化」などのシンプルなスローガンを繰り返しつつ、ビジョンや政策を提示する戦略です。「よりよいものを追求するはずの<国>が、夢を追い求める自由を持つはずの<国民>に対し、その責任を果たしていない」というのがオバマ氏の考えです。「希望」を強調するだけの政治家だ、という批判を意識した内容にもなっています。税法やエネルギー源など、具体的な数値も明確にしています。
有権者の多くはインターネットから情報を得るようになっています。オバマ陣営は、ソーシャル・ネットワーキング・サービスなどを利用する選挙運動も重視しました。そうした際にも、まずわかりやすいスローガンで有権者の支持を得るという手法は的を射たものといえます。
2008年11月4日、二十万人を超える支持者を前に勝利演説「アメリカに変化が訪れた」です。
共和党の地盤であったバージニア州を44年ぶりに奪うなど、白人の43パーセントを獲得し、「国民全体から選ばれた」といえる勝利でした。

リンカーンの奴隷解放宣言(1863年)から100年後に、キング牧師が「私には夢がある」と演説し、それからさらに45年後のオバマ氏の勝利演説。オバマ氏は、歴代大統領の中でリンカーンにだけ触れました。7分20秒間の力強い演説を聴きながら終わります。

2009.04.02  投稿者  | PermaLink | トラックバック(0)
宮沢賢治の世界 2009年1月

お年玉(おとしだま) お金じゃなかったのだけど

 お年玉は、もともと年の賜物という意味だそうです。神様にお供えしたお餅などを、お下がりとして分け与えたのが始まりだといいます。
 やがて、目上の者から目下の者へ、お餅やお供え以外の品物も、渡されるようになり、いつのころからかお金に変わってしまったようです。
 江戸時代には、よく扉が配られたということで、年玉扇という言葉も残っています。
 今では、神様とも、お供えとも無縁のものになってしまいましたが、お年玉という言葉には、「この年初めて授かった大切な贈り物」という気持ちがこもっているはずです。
 その心は、子どもたちに伝えていきたいものですね。

「美人の日本語」(幻冬舎)より

宮沢賢治の世界

 宮沢賢治が、37歳の若さでこの世を去ってから76年(昭和8年9月21日、急性肺炎のため)。生前に出版されたのは、童話集「注文の多い料理店」と詩集「春と修羅」だけで、その名はほとんど知られていませんでしたが、死後、作品世界の豊かさと深さが広く認められ、いまや世界中の人々に親しまれるようになりました。それは、賢治の著作には、国や文化の違いにかかわりなく、現代の困難な課題に挑もうとする人たちを励ます力があるからだと思います。
 <昨年10月、幻冬舎より「宮沢賢治10の予言」(石 寒太著)が発刊されています。写真とともに綴ったフォトブックです。ぜひご一読を。>

 イーハトーブ(イーハトーヴォ)とは、「岩手」をエスペラント風に名づけたものですが、この命名に端的に示されるように、東北岩手の風土、生活、歴史に根ざしながら、それらが賢治の詩的想像力によって変成されたミクロコスモスといえます。イーハトーブでは、人間の集落をとりまく自然の住人たち(山男、風の精、山猫……)が生き生きとした個性をもち、多彩なドラマをつくり出します。自然の住人たちとの開かれたコミュニケーションの可能性を探ろうとしたのでしょう。
 日本列島では、稲作農耕が始まる前に、成熟した狩猟採集文化を育んだ縄文時代が続きましたが、その中心は東北地方でした。やがて南や西から稲作農耕の弥生文化が浸透し、東北にも波及してきましたが、奥深い豊かな森林を持つこの地方には、縄文的な要素が残り続けました。東北とくに岩手は、農耕社会や工業社会の秩序に組み込まれていない、奥深い自然の領域が豊かに残されています。

 賢治が生きた時代は、日本社会で周囲のアジア諸国の人々に対する排他的で自己中心的な意識が強まり、やがてアジア諸国に対する侵略戦争へと進んでいく時期でした。他方、賢治の物語の中では村人と村をとりまく自然の中で生活する異質な者たち(山男、風の精、山猫、鹿、熊、狐-----)との開かれたコミュニケーションが重要なテーマとなっています。賢治はこうしたテーマを通じて排外的で閉ざされた日本社会と違った、オルタナティブな可能性を探ろうとしたのだと思われます。これは、21世紀の現代社会に対する新鮮な問題提起でもあります。

 賢治の物語の大きな特色は、森羅万象の関わりあいの自在さにあります。人と動物や植物、風や雲や光、星や太陽などが語りあったり、交感しあったりします。これらがデタラメなこととしてではなく、生き生きとしたリアリティをもって語られています。
 賢治は、生き物はみな兄弟であり、生き物全体の幸せを求めなければ、個人のほんとうの幸福もありえないと考えていました。しかし、単に理念としてそう考えただけでなく、山野を歩き生き物や鉱石、風、雲、虹、星との関わりのうちに、しばしば我を忘れて没入する人でした。賢治はそうした自然との交感に至福を見いだしていましたし、賢治の文章の豊かな活力の源泉も、そうした森羅万象との交感から得たエネルギーにありました。

 地質学者としての訓練を受けた賢治はフィールドワークの人であり、彼のファンタジーの出発点も、野外を歩き回っている時に実際におきた心の中の出来事におかれています。そのために、リアリティをおびた生き生きとした語り方が可能だったのでしょう。野外を散策しながら、鉱物や植物について細かく観察し、気象の変化を敏感に感じとるだけでなく、それらに促されて自分の心の中から湧いてくるさまざまな感情や想念とその交錯を観察し、記録するという方法をつくり出したのです。この方法を「心象スケッチ」と呼びました。

 読者をひき込むもうひとつの強い吸引力は、心に訴えるリズムが作品の中から聴こえてくることです。「風の又三郎」であれば、「どっどど どどうど どどう」という歌ではじまり、この歌が物語の主題を知らせるし、「雪渡り」では、「キックキックトントン」と雪を踏んで踊るリズムが人間の子供と狐の子の心おどる気持ちと一体になっています。また、「鹿踊りはじまり」で鹿がうたう歌のように、リズミカルな歌が物語の中で重要な役割を果たすこともあります。
 さらに、鳥の鳴き声がかもしだす雰囲気も巧みに生かされます。たとえば、「林の底」では、夜の静かな林で低い声で鳴く梟に物語の語り手の役が振られています。「二十六夜」では、夜の林で梟の坊さんがお経を読みます。

 賢治は欧米の音楽にも強い関心をもちベートーヴェンの曲を愛好し、チェロの演奏を習ったりもしています。演奏家を主人公にした「セロ弾きのゴーシュ」は、へたな演奏家だったゴーシュが音楽に関心を示す鳥や猫、狸、ネズミを相手にするうちに、音楽の魂を学ぶという話です。
 これら賢治の作品の中には、さまざまなメッセージが隠されていますが、耳を澄まさないと聞こえてきません。ということは、聞こうとしない人には、まったく聞こえてこない、ということです。
 賢治は天才的な言葉の魔術師です。一面的な見方では、なかなか理解できません。詩人にして作家、日本ではもちろん、世界的にもおよそ類例がないといわれるほど、多種多様な語彙を駆使した、天才詩人です。
 私たちは、賢治のたくさんの作品群から、自然に対する近代の人間の傲慢さを知り、人と生き物と地球と宇宙の関係を捉え直す、新たなコスモロジーへの方向づけを、読みとらなければならないと思います。

2009.04.02  投稿者  | PermaLink | トラックバック(0)