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拝啓 十五の君へ 2009年5月

無限大(むげんだい)   果てしない可能性


 日常でもよく使われる言葉ですが、数学では、どんな正数よりも大きい変数ということだそうです。どんな数よりも大きいわけですから、具体的な値はありません。具体的な値があれば、それより大きな数より小さくなってしまい、定義に反してしまうからです。また、無限大が二つ以上あるとき、それらの間に大小関係はなく、かといって、イコールにもならないそうです。 
  夏目漱石の小説「三四郎」の中の、こんなセリフを思い出しました。
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。……日本より頭の中の方が広いでしょう」
 ひとりひとりの頭(心)の中は無限大というわけですね。比べることもできなければ、イコールでもない。そして、夢も無限大です。
                                               「美人の日本語」(幻冬舎)より


  拝啓十五の君へ

「NHK全国学校音楽コンクール」が始められたのは、昭和7年。今年で76回を数えるそうです。当初は「児童唱歌コンクール」という名称で、小学校のみの参加でラジオ放送。戦後、「中学校の部」「高等学校の部」ができ、昭和37年に、現在の名称になり、テレビで放送されるようになったのは、昭和56年とのことです。中学校の部は、1000校を越す学校が参加し、各地方のブロックコンクールを勝ち抜いた11校だけが全国コンクールに出場できるという狭き門です。
 
 その長い歩みの中で、平成20年は特別な年になったのです。すべての出来事は、アンジェラ・アキさんが書いた中学校の部の課題曲『手紙』、この一つの歌から始まりました。アンジェラさんが10代のときに「30歳の自分」にあてた手紙をもとに作られた曲です。「大人にとってはたいしたことのない悩みでも、10代にとっては大問題。たくさんの悩みや不安を抱えている10代に『大丈夫だよ』と伝えたい」というアンジェラさんの思いは『手紙』とともに全国の中学生に伝わっていき、その様子を描いたドキュメンタリー番組は幅広い層に大きな感動の輪を広げたのです。
 この番組を観て、私も15歳のときの思いが蘇りました。
 このドキュメンタリーが一冊の本になりました。「拝啓 十五の君へ」?アンジェラ・アキと中学生たち?(NHK全国学校音楽コンクール制作班編・ポプラ社)。

この本を読んだ、50代と30代の女性の感想です。(感想の文面は読売新聞広告より)
 「若い人の気持ちがわかるかなあと思って手にとったのですが……。娘の子育てを見ていて何かヒントがと読みはじめ、現代の子たちのナイーブさ、やさしさにふれてひきこまれてしまい、いつの まにか15歳という新しい一歩をふみだしたときの自分に戻って心がふるえました。詩の力、言葉の力、そして全てをのみこんだアンジェラさんの人生に重なるやさしい発言に、その場にいるようなあたたかさにつつまれました。」
 「ラジオでアンジェラさんが歌うのを聴いてから、この曲が大好きだったので立ち読み。でも、最初のアンジェラさんのメッセージで涙ぐみ、それ以上立ち読みできませんでした。そして購入。家でもずーっと泣きっぱなしで読み続けました。アンジェラさんと中学生のまっすぐな心のキャッチボールに感動しました。」

 この女性が涙ぐんでしまったアンジェラさんのメッセージ「『手紙』に込めた思い」の最後は、次のことばで締めくくられています。

「……ハワイの高校に進学したものの、そこにいたのは英語がまるでできない自分、文化のギャップに戸惑いを覚えてしまう自分でした。その後、ワシントンDCの大学に進学し、就職もしましたが、どこか自分の居場所を見つけられないままでいました。そして、歌手を目指してから日本でデビューできるまでの、10年もの長い長い歳月。数え切れないほど、傷つき、泣いて、絶望を味わった日々。 もしそのときに「未来の自分へ」の手紙を読んでいたら。10代の自分をこんなに苦しめていた問題も、時間が経てば大したことじゃなくなることがわかっていたら。どんな悩みにぶち当たっても、「大丈夫。未来にはきっと大したことじゃなくなっている」と自分に言ってあげることができたはず。そして、もっと自分を信じてあげることができたはず。そう思ったのです。

 こんないきさつから、課題曲『手紙』は誕生しました。曲に中には、ふたりの自分が出てきます。ひとりは大人と子供の間をさまよいながら、たくさんの悩みを抱えている15歳の自分。もうひとりは大人になった自分。いろんなことがあったけれども、以前よりは自分を信じられるようになった今の自分です。中学生が歌いながら、「自分も大人になったら、きっとこういう気持ちになれるんだ」と思ってくれるように。今は先が見えなくて、苦しくてつらいかもしれないけれど、でもきっと大丈夫だから!自分の力を、未来の自分を信じてほしい!そんな思いが、この曲に込められています。

 この曲を通じて、たくさんの出会いがありました。たくさんの中学生がこの曲にこめた私のメッセージを自分自身の力で大きく大きくふくらませ、未来への希望に変えていった姿は一生忘れることのできない、私の宝物になりました。」

 手 紙  

拝啓 この手紙読んでいるあなたは どこで何をしているのだろう

  十五の僕には誰にも話せない 悩みの種があるのです

  未来の自分に宛てて書く手紙なら

  きっと素直に打ち明けられるだろう

  

  今 負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は

  誰の言葉を信じ歩けばいいの?

  ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて

  苦しい中で今を生きている

  今を生きている


  拝啓 ありがとう 十五のあなたに伝えたい事があるのです

  自分とは何でどこへ向かうべきか 問い続ければ見えてくる

  荒れた青春の海は厳しいけれど

  明日の岸辺へと 夢の舟を進め


  今 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は

  自分の声を信じ歩けばいいの

  大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど

  苦くて甘い今を生きている


  人生の全てに意味があるから 恐れずにあなたの夢を育てて

  Keep on believing


  負けそうで 泣きそうで 消えてしまいそうな僕は

  誰の言葉を信じ歩けばいいの?

  ああ 負けないで 泣かないで 消えてしまいそうな時は

  自分の声を信じ歩けばいいの

  いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど

  笑顔を見せて 今を生きていこう

  今を生きていこう


 拝啓 この手紙読んでいるあなたが

  幸せな事を願います

 

 

 

 

2009.05.21  投稿者 ikueigk | PermaLink | トラックバック(0)
読書で心の旅を 2009年4月

曙(あけぼの) ほのかな夜明け

 春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎわ 少し明りて 紫だちたる雲の 細くたなびきたる?(「枕草子」) 夜がほのぼのと明けようとする空、次第に白くなってゆく山際、細くたなびく紫がかった雲……どこまでもおぼろげで、やさしい春の風情です。
 曙の空の色は、真っ黒な闇から、ゆっくりと明るさが加わっていきます。大自然が描く、美しいグラデーションです。
 新しい時代や文化の到来という意味でも曙という言葉が用いられるのは、時代や文化もある日突然、様変わりするのではなく、少しずつ移ろっていくからでしょう。
 もし、新しい自分に変わりたいと思ったときは、曙の空を思い出してみませんか。ゆっくりと、でも確実に夜明けはやってきます。

「美人の日本語」(幻冬舎)より

読書で心の旅を

 2月25日、建築家・安藤忠雄さんのセミナー講演会(ソフトブレーン主催)に参加してきました。テーマは「不況に打ち勝つリーダーシップとは…」と題して、学ぶ姿勢、チーム力の大切さなど、自身の体験を通しての実感のこもった話でした。日本の教育環境の問題点等も指摘しつつ、また別の角度で、十代の時期の読書の大切さを訴えておられました。(安藤さんは2010年国民読書年推進会議の座長にも就かれています。) さらに、2016年東京オリンピックの招致活動の総監督も務められ、「海の森募金」の活動を進めている様子、都市整備の構想なども語られていました。スライドの写真も素晴らしいものでした。私自身、建築を学んだ時期もあり、安藤さんの生き方には、強く魅かれていたので、著書にサインをいただき、感動的なひとときでした。

 安藤さんの仕事場をご存知ですか?事務所ビル4階まで吹き抜けで、壁一面が本棚になっていて、建築の専門書や洋書、雑誌だけでなく、小説なども含めて数多くのジャンルの本が数万冊も収められています。圧巻です。

 数日後、朝日新聞社が主催する「オーサー・ビジット」(人気の本の作家<オーサー>が各地の学校を訪問<ビジット>して授業する読書推進プロジェクト)の記事が目にとまりました。(3月4日付朝日新聞)「感動は時空超えて創作の秘密に迫る」と題して、5人のオーサーが紹介されています。それぞれのタイトルから授業の内容が想像できそうです。

 作家の上橋菜穂子さん「みんなの作品 共通点は?」
 落語家の桂文我さん「小咄三秒 受け継ぐ笑い」
 医師であり作家の海堂尊さん「読む人を意識して書こう」
 登山家の野口健さん「登山で知った命の尊さ」
 詩人の工藤直子さん「フキノトウになりきって」

 この紙面に、「はるかな世界へ心の旅をさせてくれるのは『本』」と話す安藤さんのインタビューが掲載されていましたので、以下そのまま引用します。
 建築の道に進もうと考えたのは十代の終わり。関西近郊の大学をのぞきに行ったのですが、授業が全然分からない。本を読んでいないから。あわてて読むわけですよ。
 例えば、和辻哲郎の『古寺巡礼』。読みながら奈良、京都を歩くのです。建築と文学とは違う世界だと分かる。文学だからこそ見えてくる建築の奥行きがあるのですね。視覚だけの世界は直接的で、即物的。柱と梁(はり)が重なって建築を構成する、動かしがたい現実が目の前にあるのです。文学なら読み手がいろいろに受け取れる自由がある。
 当時、月給は一万円ほど。外国の建築雑誌を毎月買うと、一年で五千円くらいになりましたが、買っていましたね。収入の半分は本を買ってもいい、と思っていた。全部読めるわけじゃないけれども、豊かな気持ちになる。谷崎潤一郎の『陰影礼讃(らいさん)』を読んでも、具体的な建築のかたちは見えてこないですよ。でも、想像力が刺激される。
 2001年に開館した司馬遼太郎記念館を造ったときは、司馬さんの蔵書を見てぼうぜんとしました。これが頭脳の中にすべて入っていたんだ、と。その感動を共有してもらおうと、記念館には司馬さんの本を壁一面に並べました。
 今も東京と大阪を往復する新幹線と、家でも夜一時間ぐらい本を読みます。いろいろな世界へ心の旅ができる。例えばベネチアで仕事をするときは、ルネサンスについての本。そうすると時代が分かる。仕事がおもしろくなります。
 若い人には、十代から乱読でもいいから本を読んで、人間とは、自分が存在するとは、いかに生きるか、と考えてほしい。考える人間、思考力のレベルの高い人間が、次の時代を切り開くのは間違いない。
 受験のために読むのは少し違うと思うんですね。心の奥行き、精神の豊かさを求めて読むわけじゃないから。夏目漱石や森鷗外の作品名を知っているだけでは、文学にさわったことにはならない。人間や命に対する愛情や深い思考力の源泉は、書物なんです。
 先人の英知が詰まった本は、誰にも開かれた心の財産。それを自ら放棄するのはあまりに愚か。人間は知的体力も必要だから、子どものときに鍛えないと。知的体力も、社会人としての礼儀の一つですよ。
 日本人の多くは、大学を卒業すると本を読まない。でも、本で心の栄養を常にレベルアップすれば、人生に違った楽しみを感じ取れるようになる。お金だけではない本物の価値観を、一人ひとりが育んでほしいと思います。

2009.05.10  投稿者  | PermaLink | トラックバック(0)