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小学校の英語必修化・・・ 2009年7月

 

 

 

  詩華(しか)   言葉の花束

 

 

美しくすぐれた詩や文章のことをいいます。

普通、詩や短歌など韻文の総称は「詩歌」ですが、美しい詩や文章は、「華」になるのですね。

 

言葉や言の葉は、もともと「言の端」でした。言ったことや事柄の切れ端ということから「端」と書いていたのが、そのうち「葉」を当てるようになったといわれています。

そういえば、話がはずむことも「言葉に花が咲く」といいますね。

 

どんな文章を書く場合でも、言の葉を集めて、花束を作るようなものかもしれません。

 

ちょっとした手紙やメールを送る際にも、ささやかな花束を贈っているということなのですね。

                    「美人の日本語」(幻冬舎)より

                              

 

 小学校の英語必修化は日本を滅ぼす

 

 

 月刊ウイル7月号(ワック出版)での特別対談です。藤原正彦氏(お茶ノ水女子大学教授)と渡部昇一氏(上智大学名誉教授)の両氏が持論を展開しています。藤原先生の講演会に参加したときの内容は以前にも書きましたが、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」との主張は一貫しています。

 

 

冒頭では、「英語で経済は発展しない」として、英語と経済がなんの関係性もない事実を明らかにしています。渡部先生も同感しつつ、漢文や韓国語を習うのと英語を習うのは意味が違うことを指摘し、

 

英語には漢文的な顔とハングル的な顔という二つの顔があること、さらに、世界でいちばん使われている便利な言語であることをふまえ、その英語教育をどうするかということに話しが続きます。

 

 

藤原氏は、小学校から英語教育をしようなどというのは愚民化の最たるものだとし、日本中の人が今後も忘れ続けるであろうことは、教育の本質だと。それは、一週間の授業時間がたった20数時間しかないということだと。

 

 

例えば、「英語は大事だから小学校で教えましょう」と早くから教えようとする。「21世紀は情報化社会だからパソコン、インターネットは大事で小学校から教えましょう」となる。経済も大事だから株や債券のシステムを教えましょう。健康も福祉も国際理解も・・・。日本中がこれに永遠に騙され続けることだと。

 

すでに江戸時代に寺子屋の先生が見抜いたように、「読み、書き、そろばん」です。人間の知的活動で最も重要なのは、「読み」。次が「書き」。もちろん両方とも母国語で。そして、次が簡単な計算。

 

 そう考えると、小学校に英語教育の時間など、一秒もないと。パソコンも、国際理解も健康も福祉も一秒もない。漢字を徹底的に叩き込めということになる。漢字や足し算引き算、かけ算割り算、分数小数を徹底して叩き込む必要がある。これだけでも20時間くらいかかってしまう。一週間の授業時間が百時間あれば、英語やパソコンもいいが、20数時間だから許さないと。

 

 

渡部氏も、20数時間の中に英語を入れるのには反対し、もし教えるとするなら、必ず課外でハングル的にやればいいと。ピジン・イングリッシュ的にやって、文字で書いて教えてはならないと。日本人が英語でいちばん苦労するのは、結局、音が聞き取れないこと、だから、小学校で教えるなら、遊びで課外でやること。文法を教えてはならず、点数をつけてはならないと。遊びや体操、ゲームの中で、英語の音を聞くことが重要だと。そして、先生は必ずネイティブ・スピーカーであること。

 

こんなやりとりから対談が始まり、17ページにわたって、多くのことが論じられています。

 

 

最後は、漢文の素読が頭にいいことを証明し、「世界に類のない発明」として、漢文の素読、文語の暗誦をすすめています。教養や独創力を養い、脳の発達を促すためにも必要なことだと指摘。

 

渡部氏は、オールドイングリッシュが、ラテン語もギリシャ語もなく、純粋なゲルマン語で、学問にならないと。だから、古典教育が必要だと。古典教育というのは、自分が普段使っている言葉とは少し違った言葉で、「知的に諒解する」というイメージで、これをやったのとやらないのでは、知力の鍛えられ方が全く違うと。おそらく、数学も勉強した人としない人では全く違ってくる。それは、普段使わない頭を使うからだと。漢文もレ点や返り点で、ひっくり返したりして読むから、それを読み下せるというのも同じことだと。

 

つまり、普段使用している言葉ではなく、「異質」のものに触れるというイメージ。文脈を文法に従って正確にやる場合、英文和訳の授業は日本語を教えているようなものだと。

 

 

藤原氏は、日本語を読み下した漢文は、すでに千年以上にわたって日本で使っているのだから日本文学であると。そもそも、漢文の読み下し文は日本語の美しいリズムの典型でもあると。

 

渡部氏が、漢文には「調子の悪い漢文」はなく、すべて調子がいいと。調子よく読めるように日本人が工夫したので、そもそも調子悪くは読めない。書き下しは、世界に類のない日本人の発明。また返り点も分析する点で、高度の言語学実践になる。傍若無人も、「傍らに人無きが如く」となって漠然と「傲慢」というのではなく、イメージが明瞭に浮かびあがると。

 

 

本当にすごい独創だと藤原氏。読み下して、ひらがなやカタカナを発明して、どんどん日本の文化にしていく。まず最初に徹底的に真似して、それからどんどん独創を加えていくという日本人の凄さの典型であると。一所懸命に漢文を勉強すべきであると。

 

美しいリズムの典型を身体で覚えるというのは非常に意味がある。一昔前の作家のほうが文章が上手いのは、漢文の素読に起因している。また美しい文語が、明治、大正、昭和の時代に膨大に書かれている。この文学上の奇跡とも言える時代に生まれた美しい文字を、小中学生に読ませたり、暗誦させたりすることのほうがよほど大事であろうと強調。

 

小学校の英語必修化は愚民化の最たるものであると・・・。

 

 

 

2009.07.11  投稿者 ikueigk (18:12) | PermaLink

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