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      <title>塾長トーク</title>
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      <language>ja</language>
      <copyright>Copyright 2010</copyright>
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         <title>国民読書年　2010年4月　＠文京区　都立中高一貫校</title>
         <description><![CDATA[
<p>
<span style="font-size: large">　　蘖（ひこばえ）　　そしてまた一歩から</span>
</p>
<p>
<br />
　切り株や根元から出てきた新芽のことを蘖といいます。「ひこ」とは曾孫（ひまご）のことです。<br />
太い幹に対して、新しく生えたかわいい新芽を曾孫に見立てて、蘖と呼ぶようになりました。<br />
切り株や根元の幹から、かわいい新芽が出ているのを見つけると、思わず微笑んでしまいます。<br />
　そして、その生命力に、感動すらおぼえます。<br />
　何年も何十年も、年輪を重ねて、枝をのばし、葉を茂らせてきた営みが、切り倒されれば、すべて無になってしまいます。それでも、何も言わずに新しい芽を出していく&hellip;&hellip;当然のように、新しい一歩を踏み出しているのです。<br />
　どんなに言葉を尽くしても、蘖の無言の教えには、かないません。<br />
　　「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<span style="font-size: x-large">　　<strong>国民読書年</strong>フォーラム<br />
</span>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
　今年は、衆参両院で採択した決議に基づいてつくられた「国民<strong>読書</strong>年」となっています。２０００年の「子ども<strong>読書</strong>年」からちょうど１０年です。この間に「子どもの<strong>読書</strong>活動推進法」「文字・活字文化振興法」なども制定されていますが、大人の五５２%は、一か月間に一冊も本を読んでいないのが現状です。
</p>
<p>
<br />
　文字・活字という知的財産を受け継ぎ、心豊かな社会を実現するため、政官民が協力し国を挙げて<strong>読書</strong>活動を盛り上げようと、活字文化議員連盟が呼びかけて採択されたのです。各地でいろいろなイベントも開かれ、２月６日には、千葉県市川市で読売新聞社主管によるフォーラムが開かれました。（読売新聞２月２１日朝刊より）<br />
　斎藤孝先生（明治大学教授）の基調講演、テーマは「読書力とコミュニケーション力」。続いて作家の奥泉光さん、セブン&amp;アイ出版社長の水越さくえさん、文字・活字文化推進機構理事長の肥田美代子さんによるパネル討論、テーマは「言葉の力と心をはぐくむ」について語り合っています。<br />
最後に、以下のようなフォーラム宣言文を採択しています。
</p>
<p>
<br />
　「わが国は千数百年の書物文化の歴史を持ち、すばらしい文学などを生み出してきました。本や新聞などの活字文化は考える力や想像力はもちろん、言葉の力や人を慈しむ心もはぐくんでくれます。こうした貴重な財産を受け継ぎ、発展させて、心豊かな活力あふれる社会を築くことは私たちの願いです。今年は『国民読書年』です。これを機に、私たち国民一人ひとりが、家庭で、学校で、職場で、地域で、文字・活字文化に親しむ行動を起こすことを誓います」と。
</p>
<p>
<br />
　斎藤孝先生の講演要旨は、以下の通りです。<br />
　「どうして本が大事なのか、読書が大切なのか。家に本があるということが大切なことなんです。本があるということは、大変な偉人、先人が部屋にいて刺激を与えてくれるということです。ニーチェやフロイト、福沢諭吉などが本棚に並んで背表紙からにらみをきかせてくれているわけです。
</p>
<p>
<br />
　人間の文明は元来、言葉、中でも書き言葉によって成り立っています。活版印刷術が生まれ、知が共有されるようになってから急激に文明が発達したのです。書き言葉を共有していない日本人が半数近くいるとなると、社会は発展をあきらめただけでなく、相互のコミュニケーションができにくくなってしまいます。『むかつく』という言葉の流行を研究したとき、生徒たちが授業中に『むかつく』ばかり言って、授業にならないという相談を学校の先生から受けたことがあり、ここまで日本人の知性がなくなったのかと驚きました。
</p>
<p>
<br />
　実は、他者に対する態度というのは、読書量と関係があります。読書というのは、人の話をたくさん聞くという行為だから、他者の話を落ち着いて聞けるようになります。『むかつく』『うざい』と、コミュニケーションを断ち切るような態度には出なくなるわけです。まずは話を聞き、ちゃんと理解した上で、自分のコメントをする、そういう対話ができるようになります。本を読まない人でも会話はできていますが、その会話と対話はレベルが違います。大学のゼミで学生と話をすれば、どの程度読書をしているかがわかります。書き言葉にしか出てこない語彙を話し言葉で使っているかどうかでわかるわけです。
</p>
<p>
<br />
　皆さんは漢字の力があるから、私の話が聞き取れます。意味の含有率が高い話をしようとしたら、漢字の熟語を使わざるを得ません。従って、話す、聞くの根底には漢字変換力、文字に直す力が無意識に働き、それらは<strong>読書</strong>量に支えられているわけです。
</p>
<p>
<br />
　内容の濃い対話をするためには、要約力、質問力、コメント力が大切です。要約力は、相手の言っていることをぎゅっとまとめる力。本を読んでいると、まとめる力は付いてきます。質問力は、相手に『ああ、いいことを聞いてくれた』と思わせる力です。私の場合、筆者らに聞きたいというところに印を付けながら読んでいます。相手の言葉にコメントしてあげると、コミュニケーションがうまくいきます。自分の考えを研ぎ澄まして、ひとつの言葉に凝縮する作業には集中力がいりますが、読書によって得られる語彙や言い回しを引用しながら話すと、キレのいいコメントができるようになります。
</p>
<p>
<br />
　<strong>読書</strong>とは人間における知性の土台みたいなものです。ちゃんと歩かないと、健康が損なわれるように、本を読んでいないと粗雑な人間になってしまいがちです。落ち着いて話すことができるメンタリティーと力を育ててくれるのです」と。
</p>
<p>
<br />
　機構ではロゴマークやポスターもつくっています。１０月には、東京で大きな祭典も予定されているようです。<br />
</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2010/04/20104.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 21:42:27 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>作文上達のコツ　2010年3月　＠文京区都立中高一貫校</title>
         <description><![CDATA[
<p>
<span style="font-size: large">五輪（ごりん）　　身体の中の宇宙</span>
</p>
<p>
<br />
　五輪といえば、４年に一度の近代オリンピックの代名詞になりました。<br />
オリンピック旗の五つの輪は、左から、オセアニア、アジア、アフリカ、ヨーロッパ、アメリカの五大陸を表すものです。<br />
　でも、「五輪」という言葉は、昔からあります。<br />
仏教で、宇宙の万物を構成する五つの要素のことです。地、水、火、風、空の五つで、「五大」「五智輪」ともいいます。<br />
　宮本武蔵が書いたといわれる「五輪書」も、この「五輪」になぞらえて、武芸兵法の心得を綴ったもので、地、水、火、風、空の五つの巻に分かれています。<br />
　人の身体に当てはめて、「五体」と同様の意味で使われることもありました。<br />
　万物の構成要素が、私たちの身体の中にも、あるのですね。<br />
　身体の中も、心の中も、まだまだ、未知なる宇宙です。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「美人の日本語」（幻冬舎）より
</p>
<p>
<br />
<span style="font-size: x-large">　　<strong>作文</strong>上達のコツ　<br />
</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
　一夜漬けでは決して上達しない作文、国語だけでなく、様々な教科を学ぶために大切な能力なのですが、じっくり取り組む時間の余裕がないのが教育現場の実状でしょう。日本経済新聞１月１５日付夕刊「らいふプラス」の面に、「自宅で<strong>作文</strong>上達のコツは」（小学生向け）と題して、３人の専門家のアドバイスが記事になっていました。ポイントをまとめておきますので、<strong>作文</strong>指導の参考にしてください。
</p>
<p>
<br />
　まずは、１月号でも紹介した宮川俊彦先生（国語作文教育研究所）。<br />
よく「自由に書いていいよ」というアドバイスをしますが、それは逆効果です。子どもたちは「何を書いたら無難だろうか」と意識しすぎてしまい、書く手がとまってしまいます。むしろ「○○○を書いてみたら」とテーマの糸口を与えるのです。内容は「冷蔵庫の中身」や「今日のイライラ」など何でもありです。一つのことを毎日ひたすら記録するだけでもいいのです。毎日の記録はとても大切です。毎月のテーマに関連することを、いろいろとひろいあげて、子どもたちとの会話をはずませてほしと思います。「『書くことがない』なんて言わせないことが大事」です。<br />
　頭の中で考えたことをそのまま文字にするのは難しいのです。本当に言いたかったことと、子どもたちが書いた内容のギャップに注目する必要があります。<strong>作文</strong>を読んだ後、子どもの話を聞くのです。そして書けなかったことを直すのではなく、「言いたいことがいっぱいあるのね」と肯定的にとらえてあげるのです。そうすれば、「自分の<strong>作文</strong>を理解してくれたと思い、上達につながる」ということです。
</p>
<p>
<br />
　次に、<strong>作文</strong>専門塾「言葉の森」を主宰する中根克明先生。<br />
　原稿用紙に向かう前の「準備」を重視し工夫しています。まず白い紙を用意し、そこに四角い枠<br />
をいくつも書きます。その中に、思いついた文章や単語を書き出します。例えば、「今日は寒い」「富士山がきれい」「皆でサッカーをした」&hellip;&hellip;。書きながら、枠同士を矢印で結んで自分が考えたことを説明したり、イラストを書き添えたりします。その後、その紙を見ながら原稿用紙に作文を書き始めるのです。アイデアや書きたいことを視覚化して整理することで、長文を書くことに慣れていくことができます。長い文章をいきなり書かせるとだいたい短く終わってしまいます。
</p>
<p>
<br />
　最後に、小学校教諭の森川正樹先生（兵庫県尼崎市立武庫小学校）。<br />
<strong>作文</strong>への苦手意識を払拭するために、短文を書くことを勧め、「箇条書きの鬼になれ」と言っているそうです。家庭では「発見ノート」を持たせ、見つけたことをひたすらメモさせているとのです。「子どもは言葉を捕まえてくる中で『書いている自分』を発見し、作文への抵抗感が薄まる」ようです。<br />
　その応用編として、「親と子の聞き取りゲーム」を紹介しています。保護者が「今日は子供の日だったね」などと切り出し、筋道を立てて話します。それを子どもがすべてメモして、全部書き取れたら満点です。単純な方法にも思えますが、「書き取りの中で論理的な文章の型を教えることができる」といいます。<br />
　<strong>作文</strong>の書き出しは、多くの子どもが苦手です。「どう書き始めたらいいか」と考え込んでしまって、原稿用紙が一行も埋まらないこともあります。森川先生は、<strong>作文</strong>の「まね」から入ることを勧めています。面白いと思った本を片っ端から図書館から持ってこさせ、その本の書き出しの表現をまねてみるのです。「自分で考えようと言われても、それができない場合が多い」ので、様々な好きな本をまねすることで、逆に文章の個性は広がるようです。<br />
　他人の文章から学ぶことが大切なことは、どの先生も指摘しています。中根先生が強調しているのは、音読で文章を記憶することです。教科書に載っているような名作ではなく、自分が書く作文に近いイメージのエッセーなどが適しているとのことです。<br />
家庭での<strong>作文</strong>上達のポイントをまとめると次の５カ条になります。
</p>
<p>
<br />
１、「自由に書いて」は禁句<br />
２、<strong>作文</strong>のテーマを積極的に与える<br />
３、書き始める前に、考えをメモに<br />
４、保護者の話を聞き書きさせる<br />
５、好きな本のまねもＯＫ<br />
</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2010/04/post_7.php</link>
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         <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 21:35:46 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>志ある子を育てる　2010年2月　＠文京区　学習塾　中学受験</title>
         <description><![CDATA[心根（こころね）　　花の咲かない冬の日は&hellip;&hellip;<br />
<p>
&nbsp;
</p>
<p align="left">
　心を土壌に見立てる発想は、農耕民族の日本人らしいですね。<br />
心根は、時には本性をさしたり、根性や気だてをさしたりしますが、どれも心の深い部分のことです。植物は、根っこさえ枯れなければいつか芽を出し、花を咲かせたり、実を結んだりすることができます。<br />
人の心も同じではないでしょうか。<br />
　心にも花が咲きます。そして枯れてしまうこともあります。<br />
そんな時でも、根だけは枯らさないように、土を耕したり、肥やしをあげたりすることが大切なのですね。下へ下へと丈夫な根を伸ばせば、今度は、きっと、前よりもすばらしい花が、咲くことでしょう。
</p>
<p align="left">
　「美人の日本語」（幻冬舎）より
</p>
<p align="left">
<br />
&nbsp;
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<span style="font-size: x-large">　　志</span>（こころざし）<span style="font-size: x-large">ある子を育てる<br />
</span>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
　児童心理（金子書房）１月号の特集タイトルです。「志」という言葉を聞くことも使うことも少なくなってきているように思います。「志す」となれば、「心指す」の意味になり、心がその方に向かうこと。成し遂げようとする目標を心に決めるという意味になります。人生に対する前向きの姿勢、生きる情熱に通じる志をもつことは、いつの時代でも大切なことに変わりはありません。夢や希望がもちにくいといわれる昨今、子どもの志を育てるにはどうしたらよいかを考える内容になっています。<br />
　体験談コーナーのタイトルは、「私に志が芽生えたとき、そして現在の私」。安部譲二（作家・「ジェットコースターのような人生」）、尾木直樹（教育評論家・「虹の志」）、片岡鶴太郎（俳優・画家・「心のゆくところを見極める」）、中村桂子（ＪＴ生命誌研究館館長・「志を持ちそびれて」）、舞の海秀平（スポーツキャスター・「夢が決意に変わったとき」）、増井光子（よこはま動物園ズーラシア園長・「願うと道は拓ける」）の六名の方々の体験です。やはり体験談の方が印象に残りますね。<br />
　精神科医の春日武彦氏が、「志なき時代の中で」と題する小論の結論部分で、生きる意味について言及しています。生きる意味については別の文脈に属す二つの回答があるのではないかとし、ひとつは、多様性ということについて。<br />
　「人類そのものに多様性があればあるほど、危機を乗り切ることも可能性を活かすことも容易になる。あえて個性とは言わない。人それぞれの多様性が、人類に可能性と『したたかさ』をもたらす。そういった点では、生きる意味とは『とにかく生きていること』そのものであるということになる。さらに言えば、自分らしく生きることがベストというわけで、だからそれが何らかの成果をもたらすかどうかはわからないけれども、潜在的な可能性を示しただけで生きる意味は十分に果たしているということになるだろう」と。<br />
　もうひとつは、もっと個人レベルで「充実感」といったものをどれだけ大切に思うかといった点を指摘しています。<br />
　「本来、なぜ人の心は充実感を覚えるようにできているのだろうか。答えは、それが精神的な安定をもたらすからである。寂しさや不安や無力感や、それどころか（おそらく）衰弱や死への恐れさえも、その由来は空虚さへの本能的な嫌悪ないし恐怖であろう。それに拮抗し自己の存在感を確認する証こそが充実感なのであり、だから充実感には満足感のみならず、ある種の安堵感が含まれていることになる。充実感を追求することは、生きる意味というよりは、切実感にあふれる『業』に近いものかもしれない。だが我々は、充実感を覚えることにおいて生を全うしつつあると感じるようにつくられているのである。生きる意味を実践しつつあると感じるようにできているのである。そして志は、システマチックに充実感を獲得するためにきわめて能率的な方法論でもあるのだ。志を持とうが持つまいがそれは個人の勝手かもしれない。が、志を持ったほうが明らかに人生は充実し、精神的に楽になる。現代は、そんな当たり前のことを教えてもらい損ねた不幸な人々のあふれた時代なのではないか。そんな気がしてならない」と。<br />
　
</p>
<p>
　片岡鶴太郎氏は、子どものころから芸能の仕事をやりたいと思っていて、小学四年のときに見た、渥美清や棟方志功のドラマに感動し、役者になろうと決めたそうです。中３まで、ほとんど勉強はしなかったようですが、中卒ではまずいと思い、裕福ではないので公立高校に行きたいと担任に相談したら、「今の成績では公立高校には行かれない」と言われ、中３の夏休みに猛勉強、その結果、学年１０番以内に入り、そのとき担任の先生が、「お前はやればできるんだ。力はもっているんだから、頑張れ」と言ってくださり、その言葉が人生の一番の核になり、今でも支えられていると語っています。<br />
　高校卒業後は、片岡鶴八師匠に弟子入りして、３年後からひとりだちして、２５、６歳で『オレたちひょうきん族』に出演。バラエティー中心に活動する中、俳優としての仕事も増えてきたところで、３３２歳からボクシングを始め、３３歳でプロライセンスをとり、そして、鬼塚選手と出会い、マネージャーとして世界チャンピオンへの階段を駆け上がると同時に、役者としても充実していた。６，７年後、鬼塚選手引退、主役をつとめていたドラマ「金田一耕助」「季節はずれの海岸物語」のシリーズも終焉。そんなときに見た夕日や花の自然の姿に感動を受け、そういう自然の生命を絵に描けるようになりたいと深く強く思ったそうです。ただただ好きなものを追い求めていった結果なのだと。<br />
　最後に次のように語っています。<br />
　「志という漢字は、士に心と書きますが、士は之の変形で、心のゆくところという成り立ちなんです。つまり、志とは、本当に自分がやりたいと思っているところに向かうということです。頭であれこれ考えたり、社会に貢献するとかいうことよりも、自分の心のゆくところをちゃんと見極めるということ、自分が何を好きなのか、そこが大事だと思いますね。夢や希望がかなわないこともあるでしょう。そんなときは、また自分に向き合い、やりたいこと、好きなこと、自分の持ち味、才能を模索することです。私が描いた絵や演技を見て、何か感じていただいたら、それはうれしいことですが、感動してもらおうなんてまったく思っていません。好きなことを生業とすることが幸せだし、それが一番自分の魂が喜ぶと思います。これからも、自分の心に向き合い、こうしたい、ああしたいという思いを一つ一つ形にしていきたいと思っています」と。<br />
</p>
]]></description>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 24 Apr 2010 21:27:33 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>気持ちを伝えたい　2010年1月　＠文京区　学習進学塾</title>
         <description><![CDATA[
<p>
<u><span style="font-size: medium"><span style="font-size: large">福寿草（ふくじゅそう）　</span>　</span><span style="font-size: small">小さな花に託した、たくさんの思い</span></u>　
</p>
<p>
　元日草（がんじつそう）、朔日草（ついたちそう）とも呼ばれます。まさにお正月の花です。南天と合わせて寄せ植えにされるのは、「難を転じて福となす」という語呂合わせだそうです。　
</p>
<p>
　人生には、「五福」といって、五つの福があるとされてきました。　長寿（寿命が長いこと）、富貴（財産に不自由なく、その人の地位が尊ばれていること）、康寧（身体は健康、心は安定していて穏やかなこと）、好徳（好んで徳を積むことができること）、善終（臨終を迎えるときに、心残りなく、安心して現世を離れることができること）です。　そして、「寿」という言葉には、それらの福を言葉で祝う意味があります。　
</p>
<p>
花の少ない一月という時期に、鮮やかな黄金色の花を咲かせてくれるのが、福寿草、そんな小さな花に人々はたくさんの思いを託したのでしょう。
</p>
<p align="right">
「美人の日本語」（幻冬舎）より 　
</p>
<p>
<span style="font-size: large"><u>　気持ちを伝えたい</u>　</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: large">　</span>熊本県の南阿蘇村立久木野小４年の藤崎未夏（みか）さんの作文「気持ちを伝えたい」が全国に共感を広げています。内閣府が障害者週間に合わせて募集したコンクールで総理大臣賞を受賞した作品です。読売新聞「編集手帳」（１２月６日・１３日）で紹介され、１２月１０日付の社会面で写真入りの記事になりましたので、読まれた方も多いことでしょう。首相官邸のホームページで鳩山内閣のメールマガジン第９号を開くと、未夏さんのメッセージとともに作文全文へのリンクがありますので、ぜひご一読を。　
</p>
<p>
　はじけるような笑顔で縄跳びをする未夏さんの写真に胸が熱くなります。生まれつき左足がない未夏さんは、歩き出した頃から義足で暮らしています。運動会の練習で半ズボンをはいた時、ひざ下につけた義足を初めてみた一年生から「にせ物の足」と言われます。「義足を知らないだけで悪意はないはず」と担任の先生に勧められ、勇気を出して、一年生の教室でありのままを話したことにより、理解が広がり、未夏さんはショックを乗り越えたのです。その体験を<strong>作文</strong>にしたのです。
</p>
<p>
　未夏さんの将来の夢は作家で、今はパラリンピックへの出場を目指し、バスケットボール部に入っています。来年もまた、成長した姿を<strong>作文</strong>に書きたいとのことで、楽しみです。可能性を大きくひろげてほしいものです。 　
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
　もう一つは、「第１０回ドラえもん大賞全国作文コンクール」（小学館主催）の記事です（毎日小学生新聞１１月２９日付）。
</p>
<p>
　今年のテーマは、「泣いたこと、笑ったこと、怒ったこと」。審査員を第１回から務めている宮川俊彦先生（国語作文教育研究所）の講評と<strong>作文</strong>の書き方や普段の心構えについてのお話しがとても参考になると思いますので紹介しておきます。 　
</p>
<p>
　「今回はいい作品が多く、審査員の先生方を悩ませるほどでした。日常のちょっとした出来事を素材にしながら、心の動き、人との関係、場面をとらえる目の動きなどがうまく表現されていて、作文というよりは作品といった方がよいほど、芸術性の高いものになっていて感心しました。（小学館の学年別学習雑誌のホームページに入賞作品が掲載されています）　ここ数年、子どもたちの言葉は豊かになってきていて、自分の思いやエピソードを、物語的にスラスラと書いていく力はぐんと上がりました。でも、さらに高いところを目指すならば、一つのことにこだわって、深く見ていく目を養ってもらいたいと思います。『木を見て森を見ず』という言葉があります。一本の木だけを見るのではなくて、全体を大きくつかまなければダメだという意味です。でも逆に、一本の木をよく見ることで、森全体のようすやそこに生きる生態系を分析し想像することもできるのです。これもまた科学的な認識方法の一つです。このように、一つのことにこだわっていく目も<strong>作文</strong>には必要ですから、そういう目も養ってほしい。」
</p>
<p>
&nbsp;　「虫が好きなら虫のこと、歴史の人物が好きならその人のことにこだわって、徹底的に調べて分析し、想像し、類推して自分の考えや思いを書いていく<strong>作文</strong>もあっていいのです。<strong>国語</strong>が苦手であっても、理科が好きな子、算数が好きな子も、自分の興味を深めていけば書くことがたくさんあります。<strong>作文</strong>は、<strong>国語</strong>のなかの一単元ではなくて、全教科で学習した知識や、あなた自身の体験の集大成なのです。」 　
</p>
<p>
　「<strong>作文</strong>は、書く内容がなければ書けません。それには日々、書くための素材を蓄積しておく必要があります。素材は日常の体験の中にもたくさんあります。例えば、飲み物を飲んでも、おいしかった、冷たかったとしか思わない人と、色を見たり、指の感触を感じたり、舌で味わったり、いろいろなことをして感じながら飲む人とは格段の差があります。そういう細かな感性をもって周りを見つめていくこと。これが素材の蓄積につながります。そういう感性を、本や漫画を読んだり、映画を見たりするときにも持ち続けていき、あれを書いてやろう、これを取り上げてみようとか考えてみる。つまり、自分が書くために読む、書くために見るという手法があってもいい。」　
</p>
<p>
　　「また、新聞を読むことも大事です。私は子どものころ、新聞のコラムを毎日書き写していました。いろいろな言葉の使い方を知ったり、文の調子や流れ、展開をつかむことができます。最初は８００字を写すのに２時間くらいかかっていましたが、慣れてくると１０分でできるようになりました。そのうち段々と、自分ならこう書く、自分ならこう考えるというふうに自分で書き換えていくようになります。そういう『問い直し』がとても重要です。自分で考える力がついていくのです。」 　
</p>
<p>
　「文章を書き慣れるには、毎日、日記をつけることをおすすめします。例えば、『今日のめそめそ』『今日の空』『今日のママ』でいいのです。今日あったこと、今日見つけたこと、今日感じたことなど、一つのことだけに絞って『ことだけ日記』を書いてみましょう。一つのことに絞れば、毎日続けられるでしょう。無理して長く書く必要はありません。ときには、１行、５行、ひとことでもかまいません。何を書いていいかわからないときには、寝る前に、目をつむって一日を振り返り、再現してみること。これが重要です。そして、印象に残ったことを書いてみればいいのです」とのコメントでした。 　
</p>
<p>
　
</p>
<p>
　２０１０年、まずは、日記を書くことにチャレンジしていきましょう。
</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2010/01/20101.php</link>
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         <pubDate>Mon, 25 Jan 2010 23:57:12 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>35.9冊　2009年12月</title>
         <description><![CDATA[
<p>
<u><span style="font-size: large">　健気（けなげ）　</span>　<span style="font-size: small">　健やかな心</span></u>　
</p>
<p align="left">
　健気は、普通ではない、特別だという意味の「異（け）なりげ」という言葉が、変化したものだといわれます。　昔は、どちらかというと健康だという意味で使われたようです。　健康だということが、普通ではない、貴重な時代だったのでしょう。　
</p>
<p align="left">
　やがて、勇ましいという意味や、心がけがしっかりしている、まっすぐ困難に立ち向かう、という意味でも、使われるようになっていきました。　これらは、心が健康であればこそ、できることだといえます。　
</p>
<p align="left">
　現代は、身体の健康よりも、心の健康の方が当たり前のことではない時代になってきたようです。だからこそ健気な姿には、勇気づけられたり、感動させられたりするのでしょうね。
</p>
<p align="right">
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「美人の日本語」（幻冬舎）より 　
</p>
<p>
<span style="font-size: large"><u>　３５．９　冊</u>　　　<u>　</u>　　</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: large">　</span>文部科学省が１９５４年度より３年に一度実施している社会教育調査で、子供の読書活動が活発化している実態が浮かんできました。２００７年度、図書館を利用する小学生が借りた本は、平均３５．９冊で、前回の調査より２．９冊多く過去最多となっています。
</p>
<p>
　図書館の数も調査ごとに増加して、調査開始時の４倍以上の３１６５施設となり初めて３０００を越えています。文科省は「図書館は身近な公共施設で、特に子供への読書活動が習慣として定着しつつある」と分析しています。　
</p>
<p>
　１９９７年の学校図書館法改正で、子供に本のアドバイスをする司書教諭の配置が９８年度から本格的に始まりました。子供の読書活動を推進する法整備など、その後も行われ、「朝の読書」に代表される全国一斉読書活動の実施率は、２０００年度当初の７割から、０８年度は小学校で９割を超えています。
</p>
<p>
　ただ、司書教諭の配置は伸び悩んでいて、小学校では６割程度です。先月この紙面で「学校図書館活用教育フォーラム」の記事をちょうど紹介したところです。　自治体ごとに策定が定められた読書推進計画については、策定率３６%(今年３月末)で都道府県ごとにかなりの差があります。
</p>
<p align="right">
　過日行われた行政刷新会議の事業仕分けでは、地域や家庭が子供の読書活動を支援する事業が「廃止」となりましたが、周囲の大人が良書を推薦したり、読み聞かせなどを通じて本の楽しさを教えていくような、家庭や地域を巻き込んだ取り組みが不可欠でしょう。子供の読書環境を整えていくことは、大人の責任です。（１１月１３日付「読売新聞」参考） 　
</p>
<p>
<u><span style="font-size: large">　フィンランドに学ぶ　</span></u>　　
</p>
<p>
　OECD(経済協力開発機構)のPISA(学習到達度調査)で、フィンランドは、３項目(数学的応用力・科学的応用力・読解力)すべてにおいて世界トップクラスの成績で、日本は学力低下が浮き彫りになった結果が発表されたことは記憶に新しいと思います。
</p>
<p>
　フィンランドの学習法に高い関心が集まり、「フィンランドメソッド」をうたう読書法や作文の書き方、算数ドリルといった学習関連本も相次いで出版されました。知識詰め込み型の学習ではなく、自ら問題を発見して、自分の言葉で表現し、考える力を身につけるフィンランド式は大いに参考になると思います。
</p>
<p>
　&nbsp;　『フィンランドの教育力』(学習研究社)の著者で、１０年間小学校教師をしていたリッカ・パッカラさんは、「フィンランドでは、母国語をとても大切にしています。新聞や本をよく読み、家族で社会のいろいろな問題について語り合う機会が多い」また「算数の問題を解かせる際には、日常生活の中で扱えるような文章題にして指導していた」「勉強は強制ではなく、楽しんで身につけるもの。そのためには、教師も子供のレベルに合わせてさまざまな方面から教えられるようトレーニングを怠りません」と語っています。 　
</p>
<p>
　フィンランドがなぜPISAでうまくいったのか、フィンランド教育省は、次のように公式に説明しています。
</p>
<p>
　　　1. 家庭、性、経済状態、母語に関係なく、教育への機会が平等であること。
</p>
<p>
　　　2. どの地域でも教育へのアクセスが可能であること。
</p>
<p>
　　　3. 性による分離を否定していること。
</p>
<p>
　　　4. 全ての教育を無償にしていること。
</p>
<p>
　　　5. 総合制で、選別をしない基礎教育。
</p>
<p>
　　　6. 全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち、
</p>
<p>
　　柔軟であること。
</p>
<p>
　　　7. 全ての教育段階で互いに影響し合い協同する活動を行うこと。仲間意識という考え。
</p>
<p>
　　　8. 生徒の学習と福祉に対し個人に合った支援をすること。
</p>
<p>
　　　9. テストと序列付けをなくし、発達の視点に立った生徒評価をすること。
</p>
<p>
&nbsp;　　10. 高い専門性をもち、自分の考えで行動する教師。
</p>
<p>
　　 11. 社会構成主義的な学習概念 　
</p>
<p>
　　つまり、教育立国ということです。その背景には、大人も子どもも読書好きであることが上げられます。国民の約８割は、日に１時間の読書をし、一人当たりの図書館利用率は世界一ということです。
</p>
<p>
　　日本のとるべき道も教育立国のはずです。大いに学ぶべきでしょう。フィンランドのテストは、ほとんど作文(エッセイ)で、英語や国語はもちろん、化学、生物、音楽までもエッセイなのです。つまり、自分の考えを文章にして書かせるのが一般的なテストで、穴埋め問題などはなく、すべて記述式で、制限時間もないそうです。テスト前は、やたら分厚い本をかかえて、それを読んで知識を詰め込むことをしているようです。　
</p>
<p>
　&nbsp;教育レベルは世界一でも、アメリカで起きた乱射事件と同じような事件も起きてしまっています。どこの国でも、まったく問題がないなどということはありません。それでも、生徒がとてものびのびとして自由に毎日を過ごしているということが伝わってきます。　
</p>
<p>
　&nbsp;『フィンランド・メソッド』シリーズ(経済界)の編集者は、「現地には『フィンランド・メソッド』と呼ばれるような特別な教育法はなく、ふだんの生活から生きる力を身につけられるように、自分で考え、理由をはっきりさせて相手に分かりやすく伝えることを習慣化させている」と説明しています。　作文や読書感想文を書くとき大切なことは、書きっぱなしにせず、音読しながら、どうしてそうなるのか、筋が通っているか、相手が理解できるような言い方をしているか、といった点を改めて確認することです。そうすることを意識していくなかで、発想力や論理力、表現力などが鍛えられていくのだと思います。
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
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</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2010/01/359200912.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Mon, 25 Jan 2010 23:45:39 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>小説に人生あり　2009年１１月</title>
         <description><![CDATA[<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 20pt">　　優形</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 14pt">（やさがた）　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 14pt">優しさの源</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; mso-bidi-font-size: 10.5pt">
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　優形とは、気だてや姿、振舞いが優しいことです。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">その「優しい」の語源は、大きく分けて二つの説があります。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">ひとつは、「痩（や）す」。つまり、痩せているということです。</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">もちろん、痩せている人が優しいということではなく、身も痩せるほどに、心遣いをするということなのだそうです。</span></span>
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: small">　</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">もうひとつは、「止（や）す」。停止状態を表す言葉で、「安らか」や「休む」などの言葉を生みました。</span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">どちらかというと、前者の方が優勢のようですが、痩せるほどに気遣いされては、される方も、居心地がよくないと思いませんか。</span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">言葉の由来は別として、優しさが生まれる場所は、安らかな心。</span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">心のゆとりをなくしている時は、本当に優しくできないですものね。</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>
<p align="right" class="MsoNormal" style="text-align: right; margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">「美人の日本語」（幻冬舎）より</span>
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>&nbsp;<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-large">　小説に人生あり
<p>
&nbsp;
</p>
</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　読書によって考える力や豊かな想像力をはぐくもう――と「学校図書館活用教育</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">フォーラム」が、９月１９日、東京学芸大で開かれました。俳優の児玉清さんが「面白小説に魅せられて」と題して基調講演。続いて、実践報告や「持続可能な未来をひらく子どもたちの読書と言葉の力」をテーマとしたパネルディスカッションなどが行われました。司書教諭の専任化や学校司書の配置などを求めるアピールも採択されました。アピールの要旨は以下の通りです。（１０月７日付「読売新聞」より）</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　「情報化・グローバル社会を生きる子どもたちには、言葉の力や豊かな想像力が求められています。そのためには、読書や調べの学習など学校図書館を活用する教育が重要です。そこで、私たちは、次の環境整備を強くアピールします。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
<p align="left">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">一、学校図書館の蔵書の充実を図ること</span>
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">一、司書教諭の専任化と学校司書の配置を進めること</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">一、図書館活用教育の方法を教員養成課程で学べるようにすること</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">一、新聞を教材として学校図書館に配備すること」などです。</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
<p align="left">
<span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">　児玉清さんは、芸能界きっての読書家としてよく知られています。基調講演の内容をふまえ、読書の醍醐味について、児玉さんのコメントを参考にしながら考えてみることにします。基調講演の内容は以下の通りです。</span></span>
</p>
</span>
<p align="left">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: small">　</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">「１０歳ぐらいの時に本の面白さに魅せられて、この６５年間、ずっと面白本を追いかけています。</span></span>
</p>
<p align="left">
　<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small"><span style="font-size: 12pt">いま、世の中には面白い小説が満ちあふれています。医学、技術、法律など、数え上げたらきりがないほど、さまざまなジャンルを舞台に面白小説が書かれています。しかし、それを読む人が反比例するように少なくなっています。大人も読まなければ、子供も読まない。まさにいま、日本はそういう国になっています。</span></span></span>
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span>　&nbsp;<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">『アタック25』というクイズ番組の司会をしていますが、本に関する問題の正答率は極端に低くなりました。谷崎潤一郎も知りません。「細雪」は「ほそゆき」と読まれます。夏目漱石となぜか永井荷風、そして太宰治。この３人以外はすべて消えてしまっています。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　面白小説に取り付かれたきっかけは、子どものころに読んだ講談本。不世出の大関、雷電為右衛門が、さまざまな陰謀が渦巻く中、周囲の相撲取りをバッタバッタと投げ飛ばしながら、出世街道をばく進する。これを読んで、世の中には色々な不思議な人たちがいる。その人たちが様々な思いを持っているということを知りました。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">考える力、想像力が、いまどんどん欠如して、恥ずかしいような世の中になりつつあります。自分が怒られたからといって、それを他人に転嫁して刺す、あるいは医療や色々な現場で、総クレーマー化と言いますか、自分だけが良くて他人はすべて悪い、そういうような社会になりつつある。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　すべては「本」というものを捨ててきたからではないでしょうか。あまりにも読書を軽視し、経済優先とばかりに、「金もうけがすべて」という時代を続けてしまった。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">いま、世に満ちている面白小説のすべてに、人生というものがはめ込まれている。実際にどんなに波乱万丈な一生を生きても、何冊もの本を読み、たくさんの人生を重ね合わせてみることにはとてもかないません。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">「見たものだけが現実」という人たちがどんどん増えている。小説、物語を読むことによって、いかに多種多様な人間がいるか、しかもその人たちが、皆違う心を持っていることを知ることが出来る。そのことから人間をいとおしく思う心が広がることは間違いありません。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
<p align="left">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">　子どもたちが本を読まない社会、国に未来はありません。決して難しい本を読めというのではなく、あらゆる人生が込められている活字の世界に触れさせるということが大切です」と。</span>
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: small">　</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">現在、児玉清さんの読書量は、月に１５から２０冊程度で、そのうち半数は、仕事でレビューをするためのものだそうです。いつでもどこでも読んでいるようですが、ただ一つ決まっているのは、眠る前には一番お気に入りの本を読むことで、何者にも代えがたい幸せな時間とのことです。</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">　読書を楽しむための秘けつがあるとすれば、それは少年の心を持ち続けることかもしれないとも。年齢を重ねると、本に対するワクワク感が減ってくる感じがしますが、心の中にある自分というものは、そうそう変わりはしない。確かに年をとると経験則が増えますし、理解も早くはなりますが、本に対する思いはずっと「少年の心」のままだからこそ楽しめるのだと思います。</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">　読書は想像力の源、知識の源――すべての根源です。癒しになることもあれば勇気を与えてくれることもあります。現実では入れない場所に行き、夢をかなえ、ときには命のやり取りをすることさえできます。まさに読書の醍醐味です。</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p align="left">
&nbsp;
</p>
<p align="left">
<span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">　本には、人生のあらゆることが書いてあります。つまり、本を読めば「他人を知る」ことができるのです。通り魔事件やクレーマー問題、偽装事件などは、他者に対する思いやりや想像力の欠如に端を発しているといえるのではないでしょうか。</span></span>
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">&nbsp;　</span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">子どもたちが健全に育っていくことが非常に難しい時代になっています。子どもの頃から本の世界に触れていれば、他者を思いやる心は自然と養われていくはずなのです。</span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/11/2009.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 28 Nov 2009 00:19:11 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>気持ちにそぐう言葉たち　2009年10月</title>
         <description><![CDATA[<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 22pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: medium">想紫苑</span></span><span style="font-size: medium"><span style="font-size: small"><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: small; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">（おもわれしおん）</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　　<span style="font-size: medium">　</span></span></span></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: medium; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">倒れても起き上がる強さ</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 14pt"><span style="font-size: medium"></span></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 14pt">
<p>
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E">
<p>
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　１０月の誕生色は野に咲く紫苑の明るい紫。秋の野を代表する花です。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">「しおん」という美しい名前は漢名をそのまま音読みしたもので、台風に倒れてもいち早く立ち直る花としても知られています。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span>
</p>
</span>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small">　<span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">昔、親を亡くした兄弟がいて、兄の方は忘れ草である萱草（かんぞう）を、弟の方は思い草といわれる紫苑を、そのお墓に植えました。兄は親のことを忘れてしまいましたが、弟の方はいつまでも覚えていたということです。</span><span style="font-size: 12pt"></span></span></span>
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small">　<span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">この話に鬼も感動したので、紫苑は「鬼の醜草（しこくさ）」と呼ばれるようになったとか。ちょっとひどい名前のようですが、「醜」（しこ）とは強いという意味なんです。</span><span style="font-size: 12pt"></span><span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">かよわそうに見えますが、どんなに強い風が吹き荒れても、心には決して忘れない思いを秘め、倒れてもすぐ起き上がる&hellip;&hellip;。</span></span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span>
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small">　<span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">風の強い日は、野でそよ風に耐えているであろう紫苑の花を想います。</span></span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span>
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">「美人の日本語」（幻冬舎）より</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>
<p>
</p>
<p class="MsoSalutation" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-size: medium"><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-ascii-font-family: Century; mso-hansi-font-family: Century">　　<strong>気持ちにそぐう言葉たち</strong></span></span>
</p>
<p>
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　「世界一受けたい授業」に登場する金田一秀穂先生が、擬音語や擬態語について綴った本のタイトルです。（清流出版・２００９．４．１０）擬音語や擬態語が果たす具体的な役割について考えてみましょう。</span>
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small">　<span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">言葉は決して万能ではありません。人の気持ちを十全に表す道具としては、かえって不足しているといえます。体で表現する方が、よっぽど相手に伝わる場合もあります。ですが、言葉で表現できないままという訳にはいきません。つまり、言葉と言葉の間にある隙間を埋めようとして生み出されたことばが、擬音語や擬態語です。ですから、中途半端で曖昧だったりします。勝手につくることもできるので、低級な言葉とも言えます。</span></span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　ですが、「悲しい」や「怒りっぽい」といった言葉よりも、「めそめそ」「イライラ」の方が、人の気持ちをより素直に表現できます。この本を執筆されたのは、こうした言葉の意味を、うまく伝えることができればと思ったからだそうです。この本の「はじめに」は、次のように書かれています。</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>
<p class="MsoNormal" style="text-indent: 12pt; margin: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">「気持ちで感じていることと、言葉に表わされたこととの間には、かなりの隔たりがある。例えば、納豆を食べる。醤油もなにも加えず、食べてみる。その味を、どう表わしたらいいのか。辛いのでもなく甘いのでもなくすっぱいのでもない。しかし、無味というわけではない。舌に感じるものは、柔らかく、しかも喉の奥のほうに、何かの刺激もある。何よりも、粘る。口の中で粘る。その粘りはしかし、心地よい。鼻に回って、匂いもある。刺激的で、あまりうれしくないかもしれないけれど、懐かしいような香りでもある。</span>
</p>
<p class="MsoNormal" style="text-indent: 12pt; margin: 0mm 0mm 0pt; mso-char-indent-count: 1.0">
&nbsp;
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">そのような、口の中の感覚を、言葉で表そうとしても、難しい。強いて言うとすれば、納豆を食べたときの味、としか言いようがない。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">感覚には、さまざまなものが混じっている。それらが同時にやってくる。多分、脳内で意識され、そうして、ある感覚をうる。しかし、それを言葉にできない。困る。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">人間は、そのような微妙な感覚を、言葉に表すことで歴史を作ってきた。人類の歴史は、結局、そのような事柄の集積である。そのことは、図書館へ行けばわかる。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　地上にはさまざまな言語があって、人々はそれぞれの言葉で、それぞれの感覚を表現しようと苦心してきた。私たち、日本人も、日本語を使って、どうしたら、この気持ちをきちんと素直に言い表わせるか、努力してきた。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">日本語には、そこに、擬音語、擬態語という、とても便利なものがある。でき合いの言葉では、言えない、隙間を埋めるための言葉。気持ちの海のなかに浮かぶ言葉という島と島の間に、さんご礁のように浮かぶ、ぼんやりとした、表現されるもの。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　そのようなものを、採集してみた。」ということで、すべて羅列してみます。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　うとうと　　うつらうつら　　うっとり　　のびのび　　のんびり　　しとしと　　しっとり　　じとじと　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">じっとり　　さくさく　　さっくり　　しみじみ　しんみり　　ちょきちょき　　</span>
</p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">ちょっきん　　じわじわ　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">じんわり　　わさわさ　　ハックション　　フェックショーイ　　ぼんやり　　ぼーっと　　ふわふわ　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">ふんわり　　ちらほら　　ちらりほらり　　ぷーん　　ぷんぷん　　ざっざっ　　びかっびかっ　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">つるつる　　ぴちんっ　　ちんじゃら　　</span>
</p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">じゃらじゃら　　朗朗と　　嫋嫋と　　ぴったり　　しっくり　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">うかうか　　うっかり　　</span>
</p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">すっきり　　ごてごて　　ほやほや　　ほかほか　　ぎっくり　　ぽっくり　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">どたどた　　ぜいぜい　　カタカタ　　パタパタ　　ねばねば　　ねちゃねちゃ　　びっくり　　</span>
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">じっくり　クラムボン　　かぷかぷ　　きゅっきゅ　　ぴかぴか　　ぐつぐつ　　ごろごろ　　とろとろ　　とろり　　そわそわ　　まったり　　じゃみじゃみ　　がぽじゃぽ　　煌々　　凛々　　ぼりぼり　　ぽりぽり　</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">ペラペラ　　スラスラ</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　それぞれの言葉についての、金田一先生の語り口がユニークです。擬音語や擬態語を使った国語の授業が面白くなりそうです。</span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt"></span>
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small">　<span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">金田一先生は、青少年に対して次のように語っています。</span></span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
</p>
<p>
<span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">　「今、世間に横行する情報は、必要のない情報であったり、編集されていたりすることが多い。時にはウソもある。マスコミが大声で騒ぎたて、視聴率ほしさのつくり上げられた情報に、踊らされてはいけない。愚かな情報を、おもしろがって流し、視聴率が上がれば、またこぞって報道する。そうして愚かな政治家が選ばれるようになれば、国は転落してしまいます。</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span><span style="font-family: HGP明朝E; font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">本物の情報は少ない。本当のことは、とても小さな声で語られています。耳をすまして、本物の情報を選び出す能力を身につけてほしいのです。</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span>
</p>
</span><span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: small">　<span style="font-size: 12pt; mso-bidi-font-family: HGP明朝E">言葉に騙されてはいけません。そのために、批判能力や懐疑的精神も必要になってくるでしょう。自分の頭で考え、正邪を見極める。そうした力を養うことは、未来を生きるみなさんにとって、大切なことなのです。」</span></span></span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E"></span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-family: 'ＭＳ 明朝'; font-size: 11pt; mso-bidi-font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-hansi-font-family: Century">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/11/200910.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Fri, 27 Nov 2009 23:55:25 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>思考の整理学　2009年9月</title>
         <description><![CDATA[<span style="font-size: large">虫時雨</span><span style="font-size: x-small">（むししぐれ）</span>　　　<span style="font-size: medium">左脳で聞く音</span><br />
<p>
</p>
<span style="font-size: x-small">「虫時雨」とは、鳴きしきる虫の音を時雨の音にたとえていったものです。<br />
</span><span style="font-size: x-small">時雨は、降ったりやんだりする小雨のこと。<br />
</span><span style="font-size: x-small">音を時雨にたとえたものには、ほかに、「蝉時雨」や「川音の時雨」があります。<br />
</span><span style="font-size: x-small">日本人は、虫の鳴き声を左脳でも聞く数少ない民族だそうです。<br />
</span><span style="font-size: x-small">右脳しか使わなければ、単なる物音や雑音としてしか聞こえない虫の泣き声を、日本人は、虫の「声」として言葉として聞いているのですね。<br />
</span><span style="font-size: x-small">右脳で感じた音を左脳で翻訳し、また、右脳で感じるという作業を繰り返しているのでしょう。<br />
</span><span style="font-size: x-small">それは、相手の言った言葉から、その気持ちを汲み取る作業と似ています。<br />
</span>
<p>
<span style="font-size: x-small">あなたは、虫たちの声から、どんなメッセージを汲み取りますか？</span>
</p>
<span style="font-size: x-small">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</span><span style="font-size: x-small">「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
</span>
<p>
</p>
<p>
<span style="font-size: large">　　思考の整理学</span>
</p>
<p>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">東京大と京都大で昨年一番読まれた本です。外山滋比古先生（お茶の水女子大名誉教授）がこの本を書かれたのは、一九八三年です。「ちくまセミナー」というシリーズの一冊として刊行され、八六年に文庫化されました。「ものを考えるとはどういうことか」を軽妙な筆致でつづったエッセーです。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">一昨年、盛岡市にある書店の店員が「もっと若い時に読んでいれば&hellip;&hellip;、そう思わずにいられませんでした」と手書きの推薦コメントをつけて販売したのがきっかけで、突然売れ始めたそうです。発売から二十一年かけて十七万部とゆっくりした売れ行きだったのが、この二年で八十八万部まで伸びているそうです。筑摩書房は、本の帯に「東大・京大で一番読まれた本」というコピーをつけたので、さらに人気が出ているとのことです。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">ほとんどの学生が生まれていなかったころに出版された本が、なぜ今の若者をひきつけるのか。出版社や大学生協が理由を探ろうと外山先生を東大駒場キャンパスに招き、七月一日、講演会を開きました。その内容が、朝日新聞（八月三日付「教育」の紙面）に紹介されていましたので興味深く読みました。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">以下、記事の引用です。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">外山さんは、大正生まれの八十五歳、「思考の整理学を語る」をテーマに、二時間近く立ちっぱなしで話し続けた。「コンピューターに負けないためにどうすればいいか。ずっと考えていて、『忘却こそが大切だ』と気づきました」</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">「思考の整理学」は、考えることの楽しさを述べた本だ。それが「忘却」と、どう結びつくのか。外山さんは語り始めた。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">「人間は記憶と再生で、コンピューターにはかなわない。私たちの記憶力は不完全で、絶えず忘れてしまう。でも、人間のように選択しながらうまく忘れることがコンピューターにはできない」「忘れることを恐れないこと。おびただしい情報で、頭がメタボになれば、考えることができなくなる」</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">東京文理科大（今の筑波大）を卒業後、八十九年にお茶の水女子大を退官するまで、長く教壇に立った。そんな外山さんがずっと抱いていたのは、意外にも学生の名前が覚えられないという悩みだった。「記憶力の悪さがコンプレックスだった」</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">悩みが氷解したのは五十歳の時。フランスの思想家モンテーニュも「記憶力が悪い」と悩んでいたと知り、勇気がわいた、と明かした。コンピューターのように詰め込んだ情報と、自分の頭を使って考えた思考の違いを、忘却と記憶から説く。独特のたとえを交えた語りはエッセーそのまま。何より訴えるのは、自分の頭で考える重要性だ。</span>
</p>
<p>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">質疑応答で、学生の一人が「忘却せよ、と言われると、僕は瞬く間に単位を落としてしまいそうです」と質問。会場が笑いにつつまれた。これに外山さんはまじめに答える。「知識も食べ物と同じで大事なものだけ頭で消化して、不要なものは出してしまう。知識を得られるだけ得た後、自分で適当にそれを捨てて、頭に残った知識を個性化していくことです。新しい考えは集団の単位ではなく、一人で考えないといけない。それでなくては前人未踏の思考にたどりつかない」</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">「先生の理論は、科学的な実証があるのですか」という質問には、あっさり「証明できません」「ただ、科学的な実証性をありがたがるのは悪いところもある。自然科学は実証性で発達してきたが、どんどん人間から遠ざかっていった」。さらに、「実証されるものに価値があるという考えだから、文科系の学問は、発展してこなかった。信じることや面白いと感じることも大切です」と切り返した。</span>
</p>
<p>
</p>
<p>
<span style="font-size: large">外山さんからのメッセージ</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: small">　</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">外山さんの専門は英文学。しかし、教育論や言語論、読書論など、手がける評論は幅広く、エッセイストとしても名高い。国語の教科書や入試問題の頻出作家でもある。「思考の整理学」ブームについて、「二十年以上ほとんど顧みられることのなかった本が、全く違う読者層に読まれている。うれしいことだ」。ヒットするまで、本のことはほとんど忘れていた。時折「千部増刷しました」という出版社からの連絡で「絶版にはなってないな」と思うくらい。それが増刷がかさなり「どうしたんだ」と驚いたという。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">外山さんは、この本で、三十年ぐらいの時間が流れないと作品の真の価値はわからない、と書いている。全く新しい読者に、著者の意図とは違った読み方をされることで古典になる、というのが外山理論だ。「思考の整理学」出版当時は、卒論のテーマが見つけられない学生のためのハウツー本として受け止められていたそうだ。今は、「考えることとは何か」を求めて、若者が読んでいる。自分の理論が自分の本で実証された。「僕が死んでいれば本当に古典だった。長生きしているのでまだ古典とはいえないが、著者冥利に尽きます」</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">東大での講演会のメッセージは「無敵は大敵だ」。人間は、逆境の中で成長するもの。テストで優秀な成績を収め、有頂天になっている人がいくらかいるんじゃないか、と思って臨んだという。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">東大生に限らず、若い世代に期待している。若い読者が、時代の閉塞感や漠然とした不安を感じ、それを自分で解決しようと本を手にしてくれているのではないか、と感じるからだ。「テストの点は人生において大きな意味はない。僕から見れば、大学生の人生レースはまだ始まっていない。自分で道を探してゆく気概を持って、人間力を高めるにはどうしたらいいのか。考えてほしい」</span>
</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/09/20099_1.php</link>
         <guid>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/09/20099_1.php</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Wed, 16 Sep 2009 16:07:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>心と響き合う読書案内　2009年8月</title>
         <description><![CDATA[
<p>
<span style="font-family: ＭＳ 明朝"><span style="font-size: medium">心勝り（こころまさり）　　　昨日の自分より今日の自分</span></span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p align="left">
<span style="font-family: ＭＳ 明朝"><span style="font-size: x-small">　思いのほかすぐれていること、姿かたちよりも心がしっかりしていることを「心勝り」といいます。考えてみれば、すぐれているとか、勝っているという時、比べているものがあるはずです。<br />
　そして、どちらを上とするかを決めるルールが存在するはずです。<br />
でも、心の中には、ひとりひとり違うルールが存在するのですから、比べるなんて不可能ですね。<br />
　優しいことがすぐれているわけでもない。努力家が偉いわけでもない。本当に、心勝りのする人は、自分自身の心の中にちゃんとルールを持っていて、昨日の自分より勝っている、今日の自分に喜びを感じることのできる人だと思うのです。</span></span>
</p>
<span style="font-family: ＭＳ 明朝"><span style="font-size: x-small">　　　　　　　　　　　　　　　　「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
</span></span><span style="font-family: ＭＳ 明朝">
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: x-large">　　</span><span style="font-size: medium">心と響き合う読書案内</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">「博士の愛した数式」や「ミーナの行進」などで知られる小川洋子さんが、未来に残したい文学遺産を紹介するラジオ番組、東京ＦＭの「<span style="font-family: Century">Panasonic Melodious Library</span>」で、パーソナリティとして、一年分お喋りした内容が一冊の本になっています。（ＰＨＰ新書<span style="font-family: Century">2009.3.2</span>発行）</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">日本のラジオやテレビの世界で、真正面から文学を取り上げた番組は、ほんの僅かしかないことを残念に思われて、文学が主役になる番組という点に心惹かれて、取り組まれたそうです。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">最新のベストセラーであれ古典であれ、その魅力について語り合ったり疑問をぶつけあったりする場、</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">個人的な営みである読書ですが、電波を通して文学的な喜びを分かち合う場にしたいと考えて企画されたようです。当初は本にする計画はなく、回数を重ねるにつれ、活字にしておきましょうとの声があがり形になりました。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　本を選ぶ際に最も配慮したことは、季節感だったということで、春夏秋冬の四ブロックに構成されています。また、文学遺産として長く読み継がれてゆくであろう本を選ばれているので、本の種類は多岐に渡っています。</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　親の世代は、昔読んだ本に再会するきっかけにもなるので、この夏休みの「読書感想文」は、親子でチャレンジするいい題材になりそうです。本の題名をすべて載せておきます。</span>
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　第一章　春　</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">&nbsp;</span><span style="font-size: x-small">「わたしと小鳥とすずと」金子みすゞ　　一個人の感情を超えた寂し</span><span style="font-size: x-small">さ、せつなさ</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「ながい旅」大岡昇平　　謝罪する時にこそ、人間の本質があらわれる</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「蛇を踏む」川上弘美　　冒頭から読者を底なし沼に引きずり込む小説</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「檸檬」梶井基次郎　　日本的な感性の中に、エンジニア的な観察眼を持ち込む</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「ラマン」マルグリット・デュラス「十八歳で年老いた」少女を描く自伝的小説</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「秘密の花園」バーネット　　自然と向き合うことで、自らが生きる意味に触れる</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「片腕」川端康成　　貴女なら、ご自分の体のどこを男に貸しますか？</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「窓際のトットちゃん」黒柳徹子　　大人と子どもの理想的な関係</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「木を植えた男」ジャン・ジオノ　　仕事の成果が見られないことの喜び</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「銀の匙」中勘助　　少年の描写において、並ぶもののない名作</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「流れる星は生きている」藤原てい　子どもを守ろうとするすさまじい母親の愛情</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「羅生門」芥川龍之介　　飾りのない文章こそが美しい</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「山月記」中島敦　　男はなぜ虎に変身したのか？</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　第二章　夏　</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「変身」カフカ　　人間が虫になる不条理よりも不気味なもの</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「父の帽子」森茉莉　　父に溺愛された娘の自由自在な精神</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「モモ」ミヒャエル・エンデ　　時間を心で感じられなくなったら読みたい本</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「風の歌を聴け」村上春樹　　言葉では書けないことを言葉で書く</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「家守綺譚」梨木香歩　　どれくらいの不思議まで人は許せるのか</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「こころ」夏目漱石　　恋とは罪悪であり、神聖なものである</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「銀河鉄道の夜」宮澤賢治　　「永遠」を感じることで、気持ちが楽になる</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「バナナフィッシュにうってつけの日」ＪＤ・サリンジャー　　誰の心の中にもバナナフィッシュはいる</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「はつ恋」ツルゲーネフ　　人間の複雑さを映す鏡としての父親</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「阿房列車」内田百?　　生産性のない、無目的な旅が持つ自由</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「昆虫記」ファーブル　　神様が施した秘密のしかけを、味わって読む</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「アンネの日記」アンネ・フランク　　言葉によって、人間は自由になれる</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「悲しみよこんにちは」フランソワーズ・サガン　　自分の理論に合わない人を受け入れられない悲しみ</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">第三章　秋　</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「ジョゼと虎と魚たち」田辺聖子　　男の子なら愛さないではいられないジョゼの女心</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「星の王子さま」サン・テグジュぺリ　　肝心なことはいつでも心の中にある</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「日の名残り」カズオ・イシグロ　　慎ましさが美しい、英国の執事の物語</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「ダーシェンカ」カレル・チャペック　　本当に犬を愛している人が描いた極上の犬本</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「うたかたの日々」ポリス・ヴィアン　　常識無視の純愛小説</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「走れメロス」太宰治　　研ぎ澄まされた肉体のように美しい文章</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「おくのほそ道」松尾芭蕉　　「荒海や佐渡によこたふ天河」は数学にも通じる</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「錦繍」宮本輝　　一通ごとに成長してゆく、元夫婦の往復書簡</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「園遊会」マンスフィールド　　死の意味を一瞬でつかみとった少女の感受性</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「朗読者」ベルンハルト・シュリンク　　強制収容所で犯した罪を償うために本を読む</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「死の棘」島尾敏雄　　たった一つのことを書き尽くした小説</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「たけくらべ」樋口一葉　　ちりめんの赤色に映る恋の哀切</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「思い出トランプ」向田邦子　　手を震わせながら一枚一枚めくっていくトランプ</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">第四章　冬　</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「グレート・ギャツビー」スコット・フィッツジェラルド　　絶望という一点にのみ突き進んでゆく悲劇</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「冬の犬」アリステア・マクラウド　　厳寒の島に暮らす少年と犬の別れを淡々と描く</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「賢者の贈りもの」Ｏ・ヘンリ　　クリスマスの話には貧乏が似合う</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「あるクリスマス」Ｔ・カポーティ　　互いに愛を求め合いながらすれ違う父と子</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「万葉集」　　「自分のために詠まれた歌」が、必ずある</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「和宮様御留」有吉佐和子　　和宮様は替え玉？女性はたくましく、男性は腰砕け</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「十九歳の地図」中上健次　　主人公の理由なき怒りに、若者は共感必至</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「車輪の下」ヘッセ　　明日のことを気にしない子ども時代の大切さ</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「夜と霧」Ｖ・Ｅ・フランクル　　究極の残酷さを描きながらなお、世界の美しさを伝える</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「枕草子」清少納言　　刺繍の裏は「むつかしげ」</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「チョコレート工場の秘密」ロアルド・ダール　　チャーリーとともに親子で楽しむ工場見学</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">　「富士日記」武田百合子　　天才の日記は献立を読むだけでも楽しい</span>
</p>
<p>
<span style="font-size: x-small">「１００万回生きたねこ」佐野洋子　　ほんとうに死ねるということは、幸せなこと</span>
</p>
</span>
<pre>
<span style="font-size: x-small">&nbsp;</span>
</pre>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/09/20099.php</link>
         <guid>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/09/20099.php</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Wed, 16 Sep 2009 15:56:36 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>小学校の英語必修化・・・　2009年7月</title>
         <description><![CDATA[&nbsp;<span style="font-size: 36pt; font-family: HGP創英角ﾎﾟｯﾌﾟ体"><span style="font-size: x-large">
<p>
&nbsp;
</p>
</span></span>
<p>
&nbsp;
</p>
<span style="font-size: 20pt; font-family: 'ＭＳ 明朝'; mso-hansi-font-family: Century; mso-ascii-font-family: Century">　　</span><span style="font-size: large"><span style="font-size: medium"><span style="font-size: medium; font-family: HGP明朝E">詩華</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">（しか）　　　</span></span><span style="font-size: 14pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: medium">言葉の花束</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span></span><span style="font-family: HGP明朝E; mso-bidi-font-size: 10.5pt">
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">美しくすぐれた詩や文章のことをいいます。</span></span>
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">普通、詩や短歌など韻文の総称は「詩歌」ですが、美しい詩や文章は、「華」になるのですね。</span></span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"></span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">言葉や言の葉は、もともと「言の端」でした。言ったことや事柄の切れ端ということから「端」と書いていたのが、そのうち「葉」を当てるようになったといわれています。</span></span>
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">そういえば、話がはずむことも「言葉に花が咲く」といいますね。</span></span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">どんな文章を書く場合でも、言の葉を集めて、花束を作るようなものかもしれません。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
<span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">ちょっとした手紙やメールを送る際にも、ささやかな花束を贈っているということなのですね。</span></span>
</p>
</span><span style="font-size: 12pt"><span style="font-family: HGP明朝E">　　　　　　　<span style="font-size: x-small">　　　　　　　　　　　　　「美人の日本語」（幻冬舎）より</span></span></span><span style="font-size: 12pt">
<p>
</p>
</span>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
<span style="font-size: x-small"><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　</span></span>
</p>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt">
&nbsp;
</p>
<span style="font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: large">　小学校の英語必修化は日本を滅ぼす</span></span><span style="font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>
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</p>
<span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">　<span style="font-size: x-small">月刊ウイル７月号（ワック出版）での特別対談です。藤原正彦氏（お茶ノ水女子大学教授）と渡部昇一氏（上智大学名誉教授）の両氏が持論を展開しています。藤原先生の講演会に参加したときの内容は以前にも書きましたが、「一に国語、二に国語、三四がなくて五に算数。あとは十以下」との主張は一貫しています。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
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</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">冒頭では、「英語で経済は発展しない」として、英語と経済がなんの関係性もない事実を明らかにしています。渡部先生も同感しつつ、漢文や韓国語を習うのと英語を習うのは意味が違うことを指摘し、</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">英語には漢文的な顔とハングル的な顔という二つの顔があること、さらに、世界でいちばん使われている便利な言語であることをふまえ、その英語教育をどうするかということに話しが続きます。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
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</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">藤原氏は、小学校から英語教育をしようなどというのは愚民化の最たるものだとし、日本中の人が今後も忘れ続けるであろうことは、教育の本質だと。それは、一週間の授業時間がたった２０数時間しかないということだと。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
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&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">例えば、「英語は大事だから小学校で教えましょう」と早くから教えようとする。「２１世紀は情報化社会だからパソコン、インターネットは大事で小学校から教えましょう」となる。経済も大事だから株や債券のシステムを教えましょう。健康も福祉も国際理解も・・・。日本中がこれに永遠に騙され続けることだと。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span>
<p class="MsoNormal" style="margin: 0mm 0mm 0pt; text-indent: 12pt; mso-char-indent-count: 1.0">
<span style="font-size: x-small"><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">すでに江戸時代に寺子屋の先生が見抜いたように、「読み、書き、そろばん」です。人間の知的</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">活動で最も重要なのは、「読み」。次が「書き」。もちろん両方とも母国語で。そして、次が簡単な計算。</span></span>
</p>
<span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small">&nbsp;</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">そう考えると、小学校に英語教育の時間など、一秒もないと。パソコンも、国際理解も健康も福祉も一秒もない。漢字を徹底的に叩き込めということになる。漢字や足し算引き算、かけ算割り算、分数小数を徹底して叩き込む必要がある。これだけでも２０時間くらいかかってしまう。一週間の授業時間が百時間あれば、英語やパソコンもいいが、２０数時間だから許さないと。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
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</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">渡部氏も、２０数時間の中に英語を入れるのには反対し、もし教えるとするなら、必ず課外でハングル的にやればいいと。ピジン・イングリッシュ的にやって、文字で書いて教えてはならないと。日本人が英語でいちばん苦労するのは、結局、音が聞き取れないこと、だから、小学校で教えるなら、遊びで課外でやること。文法を教えてはならず、点数をつけてはならないと。遊びや体操、ゲームの中で、英語の音を聞くことが重要だと。そして、先生は必ずネイティブ・スピーカーであること。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">こんなやりとりから対談が始まり、１７ページにわたって、多くのことが論じられています。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">最後は、漢文の素読が頭にいいことを証明し、「世界に類のない発明」として、漢文の素読、文語の暗誦をすすめています。教養や独創力を養い、脳の発達を促すためにも必要なことだと指摘。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">渡部氏は、オールドイングリッシュが、ラテン語もギリシャ語もなく、純粋なゲルマン語で、学問にならないと。だから、古典教育が必要だと。古典教育というのは、自分が普段使っている言葉とは少し違った言葉で、「知的に諒解する」というイメージで、これをやったのとやらないのでは、知力の鍛えられ方が全く違うと。おそらく、数学も勉強した人としない人では全く違ってくる。それは、普段使わない頭を使うからだと。漢文もレ点や返り点で、ひっくり返したりして読むから、それを読み下せるというのも同じことだと。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">つまり、普段使用している言葉ではなく、「異質」のものに触れるというイメージ。文脈を文法に従って正確にやる場合、英文和訳の授業は日本語を教えているようなものだと。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">藤原氏は、日本語を読み下した漢文は、すでに千年以上にわたって日本で使っているのだから日本文学であると。そもそも、漢文の読み下し文は日本語の美しいリズムの典型でもあると。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">渡部氏が、漢文には「調子の悪い漢文」はなく、すべて調子がいいと。調子よく読めるように日本人が工夫したので、そもそも調子悪くは読めない。書き下しは、世界に類のない日本人の発明。また返り点も分析する点で、高度の言語学実践になる。傍若無人も、「傍らに人無きが如く」となって漠然と「傲慢」というのではなく、イメージが明瞭に浮かびあがると。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: x-small; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">本当にすごい独創だと藤原氏。読み下して、ひらがなやカタカナを発明して、どんどん日本の文化にしていく。まず最初に徹底的に真似して、それからどんどん独創を加えていくという日本人の凄さの典型であると。一所懸命に漢文を勉強すべきであると。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">美しいリズムの典型を身体で覚えるというのは非常に意味がある。一昔前の作家のほうが文章が上手いのは、漢文の素読に起因している。また美しい文語が、明治、大正、昭和の時代に膨大に書かれている。この文学上の奇跡とも言える時代に生まれた美しい文字を、小中学生に読ませたり、暗誦させたりすることのほうがよほど大事であろうと強調。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E"><span style="font-size: x-small">小学校の英語必修化は愚民化の最たるものであると・・・。</span>
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 12pt; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span><span style="font-size: 16pt; font-family: HGP明朝E">
<p>
&nbsp;
</p>
</span>]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/07/post_5.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 11 Jul 2009 18:12:35 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>凛とした女の子におなりなさい　2009年6月</title>
         <description><![CDATA[<span style="font-size: small">乙粋（おついき）　　　乙の魅力<br />
</span>
<p>
&nbsp;
</p>
<span style="font-size: small">　</span><span style="font-size: x-small">洗練されていて、渋みのある色気が感じられることを乙粋といいます。<br />
</span>　乙（おつ）で粋（いき）。<br />
　ちょっとやそっとでは出せない、ある意味、最高級のほめ言葉です。この場合、「乙」は、「甲乙つけがたい」の乙です。普通は、「甲」より劣っている場合に使います。<br />
　ところが、邦楽では、高い音を甲（かん）、甲より一オクターブ低い音を乙と呼びます。<br />
　人々は、乙の音の方を、渋くて、味わいのある音だと思ったのでしょう。甲の方は甲高い声などに<br />
使われ、好感度は乙よりも低いようです。<br />
　あるところでは、劣っているとされる言葉も、別の場面では、最高級のほめ言葉になるのですね。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
<p>
&nbsp;
</p>
<span style="font-size: x-large">　　</span><span style="font-size: small">凛とした女の子におなりなさい<br />
</span>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
　「２０世紀の偉大な作詞家」といわれた阿久悠さんのことは、かつてこの紙面でも書きました。亡くなられてちょうど一年後に出版されていた本ですが、先日書店でみつけました。<br />
　『凛とした女の子におなりなさい』（暮らしの手帖社2008.9.9発行）です。阿久さんの未完の仕事が四つあるそうですが、その中の一つです。暮らしの手帖「日本人らしいひと」に連載されていたものです。<br />
殺伐とした、いやな事件ばかりの世の中で、なにか、わたしたちの日々の暮らしに灯りをともしてもらえるような、元気づけてくれるような詩をと、編集部が阿久さんにお願いしたそうです。<br />
　原稿は、すべて、太めのサインペンで手書き。一字一字ていねいに、独特の文字で綴られ、毎回毎回の原稿が楽しみであったと編集部の人が述懐しています。９回目の原稿が最後になってしまいました。<br />
　詩のタイトルは、<br />
　　　　縁側のご意見番　<br />
　　　　母は父の専属通訳　<br />
　　　　毎日が正装の先生　<br />
　　　　おせっかいな案内人　<br />
　　　　少年が憧れたおとなの男　<br />
　　　　窓辺で本を読む親　<br />
　　　　かつてあったやせがまん　<br />
　　　　凛とした女の子におなりなさい（直筆原稿）　<br />
　　　　少年はみな　はにかみだった　　<br />
<strong><br />
</strong>　この９篇のほかに傑作選として５篇、さらに、盟友ともいうべき作曲家の都倉俊一氏の解説「言葉の包容力」、また、阿久さんをずっと支えてこられた奥様の深田雄子さんのあとがき「お礼」と、すべて感動的な文章で、阿久悠さんに捧げる一冊としてまとめられています。<br />
　都倉俊一氏の解説ですべて語られているのでそのまま引用します。<br />
　「日本人らしいひと」と題された９篇の詩を読むと、ぼくと阿久さんの共通点というか、日本人の忘れようとしているもの、忘れてしまったものについて、どう考えるのか、というテーマに行き当たる。<br />
　この中で、阿久さんの言っているのは、まさに人間の根っこの部分、日本人の生態そのものではないだろうか。<br />
　大切なのは、日本人が、いまの日本が、忘れようとしているものは、これから二世代、三世代も経つと、完全に忘れられてしまう可能性があるということ。ぼくは、いまならまだ間に合うのではないかと考えている。いまは、縁側も長屋も少なくなったけれど、人間として、日本人として、こころの中のどこかに、残すべきものは残す、ということを阿久さんは言っているように思う。<br />
　日本の歴史そのものが、伝統や習慣といったものを延々と維持してきたし、これが忘れられようとしたときに、自浄作用とでもいうか、阿久さんのような人が出現して、ちょっと注意を喚起する。ぼくは、これは文化人の果たすべきひとつの役目だと思っている。<br />
　わずか９篇の詩ではあるが、忘れようとしている、失いかけようとしている日本人の美徳を、忘れない、失わない、という阿久さんの熱い思いが窺える。（中略）<br />
　「凛とした女の子におなりなさい」は、阿久さん独特の言い回し。阿久さんは、大柄で肩で風を切って歩く女性が好き。タイトルになるだけあって、これは阿久さんの、若い女性だけではなく、ぼくたち日本人全員に向けた励ましに思える。<br />
</p>
<p>
　最後の「少年はみな　はにかみだった」。この、出たがり屋の多い時代に、阿久さんは、はにかみを見た。これは、はにかむという、このところの日本人が忘れていたこと。はにかみがなければ、単に、天才少年現る、で終わってしまうところであろう。この、はにかみ王子が話題になって、社会現象になるのは、まだ、日本人が日本人らしさを持っている証しと思う。こういったことが無くなってしまうことを、阿久さんもいちばん恐れていたのだろう。<br />
　阿久さんには師匠もいなければ、弟子もとらなかった。その意味では、教育者ではなかった。残されたこの９篇の詩を読むと、勉強しろとか、こうしろとか、色に染めてやろうなどとは、一言も言っていない。しかし阿久さんの持つ言葉の包容力や愛情で、読む人が自然に育つ、とぼくは思っている。<br />
　　４０年近い付き合いのある都倉俊一氏ならではの解説です。奥様の結びは、<br />
　作品は一人歩きするものです。<br />
　　この本を一人でも多くの方に読んでもらいたい。<br />
　　この本が大きく成長してもらいたい。<br />
　　この本を手にした方は、他の方に見せて下さいますようにお願いいたします。<br />
　　それが何よりも阿久が喜ぶ事です。<br />
　　さて、<br />
　　私はこれから、どう生きていこう。<br />
　　顔を上げ、ニコニコして、前を向いて。<br />
　　凛として生きよう。<br />
　　時々でいいから、私の横に並んでいて下さい。<br />
<strong><br />
</strong>
</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/06/20096.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Sat, 13 Jun 2009 14:38:38 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>拝啓　十五の君へ　2009年5月</title>
         <description><![CDATA[
<p>
<strong><span style="font-size: x-small">無限大（むげんだい）　　　果てしない可能性</span></strong>
</p>
<p>
<br />
　日常でもよく使われる言葉ですが、数学では、どんな正数よりも大きい変数ということだそうです。どんな数よりも大きいわけですから、具体的な値はありません。具体的な値があれば、それより大きな数より小さくなってしまい、定義に反してしまうからです。また、無限大が二つ以上あるとき、それらの間に大小関係はなく、かといって、イコールにもならないそうです。&nbsp;<br />
&nbsp;　夏目漱石の小説「三四郎」の中の、こんなセリフを思い出しました。<br />
「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。&hellip;&hellip;日本より頭の中の方が広いでしょう」<br />
　ひとりひとりの頭（心）の中は無限大というわけですね。比べることもできなければ、イコールでもない。そして、夢も無限大です。<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　「美人の日本語」（幻冬舎）より
</p>
<p>
<br />
　　<strong>拝啓十五の君へ</strong>
</p>
<p>
「ＮＨＫ全国学校音楽コンクール」が始められたのは、昭和７年。今年で７６回を数えるそうです。当初は「児童唱歌コンクール」という名称で、小学校のみの参加でラジオ放送。戦後、「中学校の部」「高等学校の部」ができ、昭和３７年に、現在の名称になり、テレビで放送されるようになったのは、昭和５６年とのことです。中学校の部は、１０００校を越す学校が参加し、各地方のブロックコンクールを勝ち抜いた１１校だけが全国コンクールに出場できるという狭き門です。<br />
　<br />
　その長い歩みの中で、平成２０年は特別な年になったのです。すべての出来事は、アンジェラ・アキさんが書いた中学校の部の課題曲『手紙』、この一つの歌から始まりました。アンジェラさんが１０代のときに「３０歳の自分」にあてた手紙をもとに作られた曲です。「大人にとってはたいしたことのない悩みでも、１０代にとっては大問題。たくさんの悩みや不安を抱えている１０代に『大丈夫だよ』と伝えたい」というアンジェラさんの思いは『手紙』とともに全国の中学生に伝わっていき、その様子を描いたドキュメンタリー番組は幅広い層に大きな感動の輪を広げたのです。<br />
　この番組を観て、私も１５歳のときの思いが蘇りました。<br />
　このドキュメンタリーが一冊の本になりました。「拝啓 十五の君へ」?アンジェラ・アキと中学生たち?（ＮＨＫ全国学校音楽コンクール制作班編・ポプラ社）。
</p>
<p>
この本を読んだ、５０代と３０代の女性の感想です。（感想の文面は読売新聞広告より）<br />
　「若い人の気持ちがわかるかなあと思って手にとったのですが&hellip;&hellip;。娘の子育てを見ていて何かヒントがと読みはじめ、現代の子たちのナイーブさ、やさしさにふれてひきこまれてしまい、いつの まにか１５歳という新しい一歩をふみだしたときの自分に戻って心がふるえました。詩の力、言葉の力、そして全てをのみこんだアンジェラさんの人生に重なるやさしい発言に、その場にいるようなあたたかさにつつまれました。」<br />
　「ラジオでアンジェラさんが歌うのを聴いてから、この曲が大好きだったので立ち読み。でも、最初のアンジェラさんのメッセージで涙ぐみ、それ以上立ち読みできませんでした。そして購入。家でもずーっと泣きっぱなしで読み続けました。アンジェラさんと中学生のまっすぐな心のキャッチボールに感動しました。」
</p>
<p>
　この女性が涙ぐんでしまったアンジェラさんのメッセージ「『手紙』に込めた思い」の最後は、次のことばで締めくくられています。
</p>
<p>
「&hellip;&hellip;ハワイの高校に進学したものの、そこにいたのは英語がまるでできない自分、文化のギャップに戸惑いを覚えてしまう自分でした。その後、ワシントンＤＣの大学に進学し、就職もしましたが、どこか自分の居場所を見つけられないままでいました。そして、歌手を目指してから日本でデビューできるまでの、１０年もの長い長い歳月。数え切れないほど、傷つき、泣いて、絶望を味わった日々。 もしそのときに「未来の自分へ」の手紙を読んでいたら。１０代の自分をこんなに苦しめていた問題も、時間が経てば大したことじゃなくなることがわかっていたら。どんな悩みにぶち当たっても、「大丈夫。未来にはきっと大したことじゃなくなっている」と自分に言ってあげることができたはず。そして、もっと自分を信じてあげることができたはず。そう思ったのです。
</p>
<p>
　こんないきさつから、課題曲『手紙』は誕生しました。曲に中には、ふたりの自分が出てきます。ひとりは大人と子供の間をさまよいながら、たくさんの悩みを抱えている１５歳の自分。もうひとりは大人になった自分。いろんなことがあったけれども、以前よりは自分を信じられるようになった今の自分です。中学生が歌いながら、「自分も大人になったら、きっとこういう気持ちになれるんだ」と思ってくれるように。今は先が見えなくて、苦しくてつらいかもしれないけれど、でもきっと大丈夫だから！自分の力を、未来の自分を信じてほしい！そんな思いが、この曲に込められています。
</p>
<p>
　この曲を通じて、たくさんの出会いがありました。たくさんの中学生がこの曲にこめた私のメッセージを自分自身の力で大きく大きくふくらませ、未来への希望に変えていった姿は一生忘れることのできない、私の宝物になりました。」
</p>
<p>
　<strong>手　紙　　</strong>
</p>
<p>
拝啓　この手紙読んでいるあなたは　どこで何をしているのだろう
</p>
<p>
　　十五の僕には誰にも話せない　悩みの種があるのです
</p>
<p>
　　未来の自分に宛てて書く手紙なら
</p>
<p>
　　きっと素直に打ち明けられるだろう
</p>
<p>
　　
</p>
<p>
　　今　負けそうで　泣きそうで　消えてしまいそうな僕は
</p>
<p>
　　誰の言葉を信じ歩けばいいの？
</p>
<p>
　　ひとつしかないこの胸が何度もばらばらに割れて
</p>
<p>
　　苦しい中で今を生きている
</p>
<p>
　　今を生きている
</p>
<p>
<br />
　　拝啓　ありがとう　十五のあなたに伝えたい事があるのです
</p>
<p>
　　自分とは何でどこへ向かうべきか　問い続ければ見えてくる
</p>
<p>
　　荒れた青春の海は厳しいけれど
</p>
<p>
　　明日の岸辺へと　夢の舟を進め
</p>
<p>
<br />
　　今　負けないで　泣かないで　消えてしまいそうな時は
</p>
<p>
　　自分の声を信じ歩けばいいの
</p>
<p>
　　大人の僕も傷ついて眠れない夜はあるけど
</p>
<p>
　　苦くて甘い今を生きている
</p>
<p>
<br />
　　人生の全てに意味があるから　恐れずにあなたの夢を育てて
</p>
<p>
　　Keep　on　believing
</p>
<p>
<br />
　　負けそうで　泣きそうで　消えてしまいそうな僕は
</p>
<p>
　　誰の言葉を信じ歩けばいいの？
</p>
<p>
　　ああ　負けないで　泣かないで　消えてしまいそうな時は
</p>
<p>
　　自分の声を信じ歩けばいいの
</p>
<p>
　　いつの時代も悲しみを避けては通れないけれど
</p>
<p>
　　笑顔を見せて　今を生きていこう
</p>
<p>
　　今を生きていこう
</p>
<p>
<br />
　拝啓　この手紙読んでいるあなたが
</p>
<p>
　　幸せな事を願います
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/05/post_4.php</link>
         <guid>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/05/post_4.php</guid>
         <category></category>
         <pubDate>Thu, 21 May 2009 14:09:33 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>読書で心の旅を　2009年4月</title>
         <description><![CDATA[<strong>曙（あけぼの）　ほのかな夜明け</strong>
<p>
　春は、あけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎわ　少し明りて　紫だちたる雲の　細くたなびきたる?（「枕草子」）　夜がほのぼのと明けようとする空、次第に白くなってゆく山際、細くたなびく紫がかった雲&hellip;&hellip;どこまでもおぼろげで、やさしい春の風情です。<br />
　曙の空の色は、真っ黒な闇から、ゆっくりと明るさが加わっていきます。大自然が描く、美しいグラデーションです。<br />
　新しい時代や文化の到来という意味でも曙という言葉が用いられるのは、時代や文化もある日突然、様変わりするのではなく、少しずつ移ろっていくからでしょう。<br />
　もし、新しい自分に変わりたいと思ったときは、曙の空を思い出してみませんか。ゆっくりと、でも確実に夜明けはやってきます。<br />
</p>
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「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
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<strong><span style="font-size: medium">読書で心の旅を</span></strong><br />
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　2月25日、建築家・安藤忠雄さんのセミナー講演会（ソフトブレーン主催）に参加してきました。テーマは「不況に打ち勝つリーダーシップとは&hellip;」と題して、学ぶ姿勢、チーム力の大切さなど、自身の体験を通しての実感のこもった話でした。日本の教育環境の問題点等も指摘しつつ、また別の角度で、十代の時期の読書の大切さを訴えておられました。(安藤さんは2010年国民読書年推進会議の座長にも就かれています。)　さらに、2016年東京オリンピックの招致活動の総監督も務められ、「海の森募金」の活動を進めている様子、都市整備の構想なども語られていました。スライドの写真も素晴らしいものでした。私自身、建築を学んだ時期もあり、安藤さんの生き方には、強く魅かれていたので、著書にサインをいただき、感動的なひとときでした。<br />
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　安藤さんの仕事場をご存知ですか？事務所ビル4階まで吹き抜けで、壁一面が本棚になっていて、建築の専門書や洋書、雑誌だけでなく、小説なども含めて数多くのジャンルの本が数万冊も収められています。圧巻です。<br />
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　数日後、朝日新聞社が主催する「オーサー・ビジット」(人気の本の作家＜オーサー＞が各地の学校を訪問＜ビジット＞して授業する読書推進プロジェクト)の記事が目にとまりました。（3月4日付朝日新聞）「感動は時空超えて創作の秘密に迫る」と題して、5人のオーサーが紹介されています。それぞれのタイトルから授業の内容が想像できそうです。<br />
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　作家の上橋菜穂子さん「みんなの作品　共通点は？」<br />
　落語家の桂文我さん「小咄三秒　受け継ぐ笑い」<br />
　医師であり作家の海堂尊さん「読む人を意識して書こう」<br />
　登山家の野口健さん「登山で知った命の尊さ」<br />
　詩人の工藤直子さん「フキノトウになりきって」<br />
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　この紙面に、「はるかな世界へ心の旅をさせてくれるのは『本』」と話す安藤さんのインタビューが掲載されていましたので、以下そのまま引用します。<br />
　建築の道に進もうと考えたのは十代の終わり。関西近郊の大学をのぞきに行ったのですが、授業が全然分からない。本を読んでいないから。あわてて読むわけですよ。<br />
　例えば、和辻哲郎の『古寺巡礼』。読みながら奈良、京都を歩くのです。建築と文学とは違う世界だと分かる。文学だからこそ見えてくる建築の奥行きがあるのですね。視覚だけの世界は直接的で、即物的。柱と梁（はり）が重なって建築を構成する、動かしがたい現実が目の前にあるのです。文学なら読み手がいろいろに受け取れる自由がある。<br />
　当時、月給は一万円ほど。外国の建築雑誌を毎月買うと、一年で五千円くらいになりましたが、買っていましたね。収入の半分は本を買ってもいい、と思っていた。全部読めるわけじゃないけれども、豊かな気持ちになる。谷崎潤一郎の『陰影礼讃（らいさん）』を読んでも、具体的な建築のかたちは見えてこないですよ。でも、想像力が刺激される。<br />
　2001年に開館した司馬遼太郎記念館を造ったときは、司馬さんの蔵書を見てぼうぜんとしました。これが頭脳の中にすべて入っていたんだ、と。その感動を共有してもらおうと、記念館には司馬さんの本を壁一面に並べました。<br />
　今も東京と大阪を往復する新幹線と、家でも夜一時間ぐらい本を読みます。いろいろな世界へ心の旅ができる。例えばベネチアで仕事をするときは、ルネサンスについての本。そうすると時代が分かる。仕事がおもしろくなります。<br />
　若い人には、十代から乱読でもいいから本を読んで、人間とは、自分が存在するとは、いかに生きるか、と考えてほしい。考える人間、思考力のレベルの高い人間が、次の時代を切り開くのは間違いない。<br />
　受験のために読むのは少し違うと思うんですね。心の奥行き、精神の豊かさを求めて読むわけじゃないから。夏目漱石や森鷗外の作品名を知っているだけでは、文学にさわったことにはならない。人間や命に対する愛情や深い思考力の源泉は、書物なんです。<br />
　先人の英知が詰まった本は、誰にも開かれた心の財産。それを自ら放棄するのはあまりに愚か。人間は知的体力も必要だから、子どものときに鍛えないと。知的体力も、社会人としての礼儀の一つですよ。<br />
　日本人の多くは、大学を卒業すると本を読まない。でも、本で心の栄養を常にレベルアップすれば、人生に違った楽しみを感じ取れるようになる。お金だけではない本物の価値観を、一人ひとりが育んでほしいと思います。<br />
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         <category></category>
         <pubDate>Sun, 10 May 2009 13:07:43 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>奇跡のリンゴ　2009年3月</title>
         <description><![CDATA[<strong>夢見月（ゆめみづき）　草木と一緒に見る夢</strong>
<p>
　三月の異称といえば、まず弥生（やよい）ですね。語源は、木草弥生月（きくさいやおいづき）が変化したものだということです。「弥」は、「ますます」とか「いよいよ」という意味ですから、木や草がますます生い茂る月ということになります。<br />
　その月に咲く代表的な花が季節の呼び名になることも多く、桃月、桜月という呼び方もあります。そう、旧暦では、桜が咲くころですから、花咲月（はなさきづき）、花見月ともいいました。<br />
　桜のことを夢見草ともいいます。そこから夢見月とも呼ばれるようになりました。<br />
　日に日に暖かくなり、春を迎える喜びが、一番感じられる月です。<br />
　新しい芽をふき、次々と花を咲かせる草木たち。それにつられて、私たちも、美しい夢を見ることができますね。<br />
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<p>
「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
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<strong><span style="font-size: medium">奇跡のリンゴ</span></strong><br />
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　ＮＨＫ番組「プロフェッショナル仕事の流儀」に、りんご農家・木村秋則さんが登場したのは、２００６年１２月７日のことです。番組のエピローグ「プロフェッショナルとは」との問いに、「技術も心も一緒に伴った人が、プロじゃないでしょうか」と答えた言葉は、強く印象に残っています。「農薬も肥料も使わず、たわわにりんごを実らせる」そんな農家がいる、という情報を聞きつけ、取材を始めたのはその年の夏で、撮影は６週間に及んだそうです。番組では紹介しきれない、木村さんの挑戦の記録を本にしようと言い出したのは、番組キャスターの茂木健一郎氏とのことです。そして一年半、昨年７月に幻冬舎から出版された本が「奇跡のリンゴ」です。木村さんの、長く壮絶な闘いの記録がここにあります。読んでいて涙があふれてきます。本の帯には「ニュートンよりも、ライト兄弟よりも、偉大な奇跡を成し遂げた男の物語」と。<br />
<br />
　農薬が存在しなかった時代のリンゴは、農薬を使わなくても病害虫に負けない品種しか栽培できませんでした。多くの農薬ができて、より大きいより甘いリンゴを実らせる木を作ることだけを目的とした品種改良をしてきました。だから、リンゴは、「農薬に深く依存した、現代農業の象徴的な存在」なのです。かつては木村さんも１０種類以上の農薬を使っていました。皮膚はかぶれ、奥さんも寝込むことがしばしばあったといいます。リンゴを無農薬で栽培することが、木村さんの夢になりました。しかしそれは、りんご畑の壊滅を意味することなのです。<br />
<br />
　明治２０年代から約３０年間にわたって、全国の何千人というリンゴ農家や農業技術者が木村さんと同じ問題に直面し、同じような工夫を重ね続けていました。何十年という苦労の末に、ようやく辿り着いた解決方法が農薬だったのです。木村さんは、その結論をたった一人で覆そうとしたのです。日本のリンゴ栽培の歴史を逆回しにして、破滅への道を突き進んでいたともいえます。以下本文より。<br />
<br />
「４つの畑の８００本のリンゴの木は衰弱して枯れかけていた。何も打つ手が思い浮かばない以上、今はまだ辛うじて生きているこのリンゴたちも、やがて病と虫に負けて枯れていくしかない。すべてのリンゴの木が枯れて、すべてが終わりになるだけだ。自分が今なにをなすべきか、答えはすでに出ているのだ。今すぐすべてを諦めて、みんなと同じ栽培方法に戻るしかないのだ。けれど&hellip;&hellip;」<br />
「無農薬でリンゴを栽培する。それが自分の天命なのだ。歯を食いしばってそのことに打ち込んでいるときに、雷にうたれたようにはっきりとわかったことがある。ここで自分が諦めたら、もう誰もそれをやろうとはしないだろう。自分が諦めるということは、人類が諦めるということなのだと思った」<br />
<br />
「パイオニアは孤独だ。何か新しいこと、人類にとって本当の意味で革新的なことを成し遂げた人は、昔からみんな孤独だった。それは既成概念を打ち壊すということだから。過去から積み上げてきた世界観や価値観を愛する人々からすれば、パイオニアとは秩序の破壊者の別名でしかない。ライト兄弟が飛行機を飛ばそうとしたとき、ヨーロッパのある学者は、飛行機なる人工の機械が空を飛べないことを証明するために論文まで書いたという話がある。ガリレオ・ガリレイが宗教裁判にかけられて、強引に地動説を取り下げさせられたのも同じ話だろう。現代人の感覚からすれば、なぜそんな問題で大騒ぎするのか不思議なくらいだ。地球が太陽の周りを回っていたからといって、何かが変わるというわけでもない。空を飛ぶ実験をすることに、どんな不都合があるのだろう。けれど、当時の人々の反応は違った。物理学の法則に反するとか、神を冒涜するとかいう理屈はおそらく後付けで、どちらも根っこにあるのは、変化に対する人間の本能的な恐怖だ」<br />
エピローグで木村さんはこう語ります。<br />
<br />
「知れば知るほどよ、自然というものはなんとすごいものだと思う。自然の手伝いをして、その恵みを分けてもらう。それが農業の本当の姿なんだよ。そうあるべき農業の姿だな。今の農業は、残念ながらその姿から外れているよ。ということはさ、いつまでもこのやり方を続けることはできないということだよ。昔は私も大規模農法に憧れたけど、その大規模農法地帯はどんどん砂漠化しているわけだからな。アメリカの穀倉地帯も、昔のソ連の集団農場も、今どうなっているか見たらすぐわかる。どんなに科学が進んでも、人間は自然から離れて生きていくことは出来ないんだよ。だって人間そのものが、自然の産物なんだから。自分は自然の手伝いなんだって、人間が心から思えるかどうか。人間の未来はそこにかかっていると私は思う。決して大袈裟でもなんでもなくな。私に出来るのは、リンゴの木の手伝いをすることだけだ。たいしたことが出来るわけじゃない。だけどそれは人間の将来にとって、きっとためになることだって。これは少々大袈裟だけどもな、でも心の底からそう思うようになったんだ」<br />
</p>
<p>
&nbsp;
</p>
<p>
　木村さんの挑戦心、探求心、優しさに心動かされるだけでなく、常識とはなにか、そして、現代社会のあり方を考えさせられる一冊です。<br />
　最後に、本書で紹介しているタゴールの詩「果物採集」です。<br />
<br />
<br />
危険から守り給えと祈るのではなく、<br />
危険と勇敢に立ち向かえますように。<br />
<br />
痛みが鎮まることを乞うのではなく、<br />
痛みに打ち克つ心を乞えますように。<br />
<br />
人生という戦場で味方をさがすのではなく、<br />
自分自身の力を見いだせますように。<br />
<br />
不安と恐れの下で救済を切望するのではなく、<br />
自由を勝ち取るために耐える心を願えますように。<br />
<br />
成功のなかにのみあなたの恵みを感じるような<br />
卑怯者ではなく、失意のときにこそ、<br />
あなたの御手に握られていることに気づけますように。<br />
<br />
<br />
<br />
木村さんの挑戦心、探求心、優しさに心動かされるだけでなく、常識とはなにか、そして、現代社会のあり方を考えさせられる一冊です。<br />
最後に、本書で紹介しているタゴールの詩「果物採集」です。<br />
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</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/04/post_3.php</link>
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         <category></category>
         <pubDate>Thu, 02 Apr 2009 22:04:08 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>人格・言葉の魅力　2009年2月</title>
         <description><![CDATA[<strong>幸い（さいわい）　はじめから幸せ</strong>
<p>
古くは、「さきわい」といい、「さきわう」の連用形が名詞化したものです。「わう」は、「味わう」や「賑わう」と同じく、動詞を作る接尾語。<br />
そして、「さき」は、「さち」と同じで、もともと、獲物をとるための道具や、その道具の持つ霊力のことだそうです。やがて、「海の幸、山の幸」というように、獲物そのものをさす言葉になりました。<br />
獲物があることが幸せ&hellip;&hellip;。これは、マズローという心理学者の欲求段階説では、第一段階の生理的欲求にあたります。人間の欲望は、五段階の順を追って満たされていくというもので、その後に安全の欲求、親和の欲求、自我の欲求、自己実現欲求と続くわけですが、日本では、ほとんどの人が第二段階までは満たされていることでしょう。<br />
私たちは、すでに、多くの幸に恵まれているのですね。<br />
</p>
<p>
「美人の日本語」（幻冬舎）より<br />
<br />
<strong><span style="font-size: medium">人格・言葉の魅力</span></strong><br />
<br />
いま、オバマ氏のスピーチを聞いています。（「オバマ演説集」朝日出版社）のＣＤです。米国史上初のアフリカ系（黒人）大統領となるオバマ氏がたどってきた道筋を見ると、マイノーリティーの少年が苦難を乗り越えて一国の指導者へと成長する物語です。はじめに、彼の価値観を形づくった半生を伝えたＣＮＮの放送が収録されています。<br />
国民を熱狂させるオバマ氏の魅力の源泉にせまるとともに、スピーチの名手と評される秘密が、言語表現のワザにあることも分析されています。<br />
<br />
２００４年の前回大統領選のとき、オバマ氏は連邦議会議員ですらなく、州議会の一新人議員にすぎませんでした。その彼が、一躍全米の注目を集めるきっかけとなったのが、７月２７日の民主党大会での基調演説「大いなる希望」です。聴衆の中には、感動のあまり、「おお神よ、これは歴史に残る演説です」とつぶやいて涙を流す人がいたといわれ、いまや伝説と化しています。<br />
秘密の一つ目が、このスピーチにある「実演」と呼ばれるテクニックです。<br />
「私は今夜、彼らにこう言います、リベラルなアメリカも保守的なアメリカもありはしない――あるのはアメリカ合衆国なのだと。黒人のアメリカも白人のアメリカもラテン系のアメリカもアジア系のアメリカもありはしない――あるのはアメリカ合衆国なのだと。&hellip;&hellip;イラクにおける戦争に反対した愛国者もいれば、それに賛成した愛国者もいます。われわれはひとつの国民であり、われわれ皆が星条旗に忠誠を誓い、われわれ皆がアメリカ合衆国を守っているのです」このフレーズです。<br />
<br />
オバマ氏は、ケニアからの黒人留学生とカンザス州出身の白人女性との間に生まれました。多民族国家アメリカにおいて、彼自身が「人種の融合の象徴」といえます。つまり、彼自身がスピーチの内容を実演しているということです。<br />
<br />
２００８年３月４日、予備選の山場のひとつであったミニチューズデーの結果は、ヒラリーの３勝１敗で、オバマ陣営は改めて長期戦を覚悟しなければなりませんでした。そうした状況の中でも、彼は、疲れや落胆を示すことなく、「われわれにはできる（Yes, we can.）」と発し続け、演説の最後は次のようなフレーズです。<br />
「世界は何を見るでしょう？われわれは世界に何をつたえるのでしょう？われわれは何を示すのでしょう？」と疑問文を三回繰り返した後で、「われわれは、党派や地域、人種や宗教を越えてひとつになり、すべてのアメリカ国民が生まれながらに持つ権利としての繁栄と機会を取り戻すことができるのか。国際社会を先導して、２１世紀の共通の脅威――テロや気候変動、大量虐殺や病気――に立ち向かうことができるのか。恐怖や貧困から逃れたいと望む海の向こうの疲れ果てた旅行者に対して、アメリカ合衆国こそが現在も、そしてこれから先もずっと、最後にして最良の地上の希望であるというメッセージを送ることができるのか」と再び疑問文を３回繰り返しています。そしてさらに、「われわれはこう言います、こう願います、こう信じます」と、疑問に対する回答を３回同じ構造で繰り返し、最後に「大丈夫、われわれにはできる！」と締めくくりました。<br />
秘密の二つ目が、ここにある「再現」の多用です。同じ構造の文を繰り返すことで、リズムを整え、聴衆に内容を理解しやすくする効果があります。彼の話しぶりとも相まって、大きな魅力になっています。<br />
<br />
２００８年８月２８日、民主党大会で正式に候補者としての指名を受けました。「大いなる希望」から<br />
４年、「アメリカの約束」と題して演壇に立ちました。これがキーワードです。３つ目の秘密は、覚えやすくインパクトのある言葉やフレーズを、政治的スローガンとして用いる技法で「イデオグラフ」と呼ばれます。「希望」や「変化」などのシンプルなスローガンを繰り返しつつ、ビジョンや政策を提示する戦略です。「よりよいものを追求するはずの＜国＞が、夢を追い求める自由を持つはずの＜国民＞に対し、その責任を果たしていない」というのがオバマ氏の考えです。「希望」を強調するだけの政治家だ、という批判を意識した内容にもなっています。税法やエネルギー源など、具体的な数値も明確にしています。<br />
有権者の多くはインターネットから情報を得るようになっています。オバマ陣営は、ソーシャル・ネットワーキング・サービスなどを利用する選挙運動も重視しました。そうした際にも、まずわかりやすいスローガンで有権者の支持を得るという手法は的を射たものといえます。<br />
２００８年11月４日、二十万人を超える支持者を前に勝利演説「アメリカに変化が訪れた」です。<br />
共和党の地盤であったバージニア州を４４年ぶりに奪うなど、白人の４３パーセントを獲得し、「国民全体から選ばれた」といえる勝利でした。<br />
<br />
リンカーンの奴隷解放宣言（１８６３年）から１００年後に、キング牧師が「私には夢がある」と演説し、それからさらに４５年後のオバマ氏の勝利演説。オバマ氏は、歴代大統領の中でリンカーンにだけ触れました。７分２０秒間の力強い演説を聴きながら終わります。<br />
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</p>
]]></description>
         <link>http://www.ikuei-gk.com/blog/2009/04/post_2.php</link>
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         <pubDate>Thu, 02 Apr 2009 22:00:30 +0900</pubDate>
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